<アーカイブへ>またサクラの季節がめぐってきた。東京の開花はいつもに比べ遅かったが、見頃は天気に恵まれ、ソメイヨシノは小枝もたわわに雪が積もったようだった。川沿いの桜並木(写真)の中から青空を見上げると、花吹雪で窒息しそうになる。「どうしたの爺や、いつもとトーンが違うね」という声が聞こえそうだが、いやほんの前戲で-。
満開の桜に酔っているころ、あの都知事がやはり満開の桜のワシントンで、尖閣諸島を買い取るとブチあげた。中国を「支那」と言ってはばからない老人の「たわ言」と無視したいところだがそうもいかない。メディアがまっとうに取り上げ、募金を始めれば口座を開らくと2週間で3億円も集まったという。まずは彼の思惑通りに事は進んでいる。 老人のシナリオはだいたい次のようなものだろう。まず買収に先だち測量を名目に念願の上陸を果たす。中国と台湾の領土ナショナリズムを刺激し、北京などで抗議デモが始まる。中国や台湾、香港の民族派が尖閣に向けて抗議船を出し、海上保安庁の巡視船とにらみ合いが繰り返される。 目的は、領土問題で日中関係を緊張させ、中国の脅威を煽って「平和ボケした日本人に防衛意識」を覚醒させることだ。原発再稼働や消費増税など喫緊のテーマを押しのけ、領土問題が永田町最大の争点になれば、浪花市長の陰で存在感が薄かった自分にもようやくライトが当たる。「老骨にむち打ちお国のために最後のご奉公をする」と、新党を射程にいれてもいい。 尖閣がテーマではない。経済の低迷が続き政党政治は袋小路。終身雇用に年功序列という伝統的な社会秩序が崩壊し、将来不安は募る一方。こんな閉塞感に覆われている時に元気なのが、老人や浪花市長らのぶち上げる敵対ナショナリズムである。ナチスの手法でもあったが、フランスやギリシャでも移民排撃を叫ぶ右翼が勢力を伸ばした。 いや「閉塞感」という曖昧な言葉は避けたい。こう言い換えてはどうだろう。「共有できる前提が失われた時、最も有効な方法は、危機を煽り共通の敵を外に作り上ること」。市場経済とネット空間の拡大が古い共同体を壊し、政治、経済、社会のあらゆる領域で、国民が共有する前提が失われたという意味だ。だからといって、無理やり「外の敵」という共通の前提を作るべきではない。「同期の桜」のように、戦争に駆り立て若者を死に追いやってはならない。いくらサクラのように「短く美しく」咲いて、散っても。(了)
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