<アーカイブへ>1月の入院に続いて3月末、再び誤嚥性肺炎を起こし入院・治療生活に戻ってしまった。今回の入院で初めて「下の世話」になった。孫のような若い女性看護師からおむつを替えてもらい、排せつの処理をしてもらうのは想像するだに「恥辱」だったがすぐに慣れた。
仕事とはいえ、「下の世話」を喜んでする看護師は少ないと思う。今回は「床ずれ」の治療も受けた。医療用語では「褥瘡」と呼ぶ。筆者の場合、長時間椅子に座って原稿書きをしていたことが原因。 東京郊外にあるこの地域中核病院では、190名の看護師が年度末に一斉退職すると聞いた。ざっと600名いる看護師3割に当たるから少ない数ではない。看護師から理由を聞けば、長時間労働、低賃金、過酷な夜勤など労働条件に関することばかり。しかも労働組合などない。 この病院は看護大学も経営しており、毎年4月には200名近い看護師の就職が見込まれるため、看護師は「使い捨て」状態でも経営圧迫にならない。だが、この病院を辞めて「新天地」に移って果たして、労働条件は改善されるのだろうか。 化学療法の緩和ケア―で「進んでいる」と聞いて茨城から就職してきた一年生看護師もいる。この仕事を選んだのは中学生のころ、祖母ががんを患い化学療法の副作用で苦しんでいる姿をみたことだった。 初任給は諸手当を入れて約21万円。6畳一間の看護師寮費は2万円強だから、ぜいたくはできないが何とか生活できる。今は緩和ケア―というモチベーションがあるかるから頑張れる。だが将来設計は描けない。結婚して子供が欲しいと漠然と思う、実際にそれができるのか確信は持てないのだ。 この病院は、看護師不足の穴を埋めるため看護助手を大幅に増やしている。中には米ユタ大学で看護師資格をとり日本人と結婚した30歳代後半の香港出身女性もいる。しかし厳しい日本語検定試験のハードルが高く、看護師にはなれない。労働力不足という構造欠陥を埋めるため、国は外国人労働力の移入に必死だが、日本語の壁と奴隷労働のせいで、多くの外国人労働者は日本を忌避するだろう。 ある夜、汚れたオムツ取り換えをお願いしたら、若い看護師が香港出身の助手を伴いやってきて取り換えさせた。下の世話は嫌なのだろうが、助手にやらせるのはルール違反。労働環境や条件が厳しくなると、看護師は高齢患者の体調より、自分の責任回避を優先する。内向きなのだ。職業倫理など消え去る。 いまこの国を覆う問題と矛盾を洗いなおすと、雇用と労働環境、年金をめぐる伝統的な日本社会の構造問題に行き着く。天皇を頂点にするピラミッド型タテ型社会構造は、明治以来の近代化に起因するのか、それとも徳川300年の階統制に由来するのか答えは出ない。閉塞打破には根本治療が必要。パーティ券めぐる自民党政治資金問題や大谷通訳問題などは些末に過ぎない。(了)
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<アーカイブへ> 春節(旧正月)が始まった2月中旬、台湾、韓国など旧正月休暇に入った海外から多くの観光客が訪日観光に詰めかけた。しかしコロナ禍前の2019年には訪日客の約3割約1000万人を占めた中国大陸からの訪日客数は少なく、あるTVニュースで中国専門学者はその理由を「経済不況が原因」と、頓珍漢な解説をしているのを観て驚いた。
中国人観光客の回復が遅れているのは、日本政府が19年当時は認めていた一般中国人へのノービザ待遇措置を与えていないことが主因。その証拠に、多くの中国人観光客はノービザで入国できる近隣のタイ、マレーシアなど、東南アジアカ国を訪問しているからだ。 中国政府は昨年来、日本政府に対しノービザ解禁を求め、相互主義に基づき中国側も日本人旅客にノービザ解禁すると、外交チャネルを通じ要求してきた。しかし日本政府の対応はノラリクラリ。あらゆる経済指標が下落するなか、唯一光明が見える観光立国を目指すなら、14億市場を無視できないはず。むしろ優先すべき政策だと思う。 そんな中、日本経済新聞社が23年に行った同社の世論調査結果(2月18日朝刊)として、韓国を「好き」と答えた日本人は37%と前年より10ポイント上がり、「18年の調査開始以来で最も多かった」と伝えた。 その理由として同紙は、韓国で尹錫悦大統領が就任、首脳交流が回復して日韓関係が改善したことを挙げた。K-POPの底堅いファンや、『韓流』の影響もあるだろうが、政府間の関係改善が、日本人の外国感情に大きな影響を与えているのは間違いないだろう。 一方、中国を「嫌い」と回答した比率は74%と6年連続で7割台。「脅威」と感じる回答は87%に上る。それはそうだろう、岸田政権は中国が台湾に武力行使するのを意味する「台湾有事」と中国の脅威を毎日煽だけで、中国との関係改善にはほぼ手つかずだからだ。 この調査で分かるのは、人々の対外認識は政府の対外政策の「映し鏡」の側面が強いこと。19年に1000万人近くの中国観光客が訪日した後、ある世論調査で中国人の対日観が大幅に好転する結果がでたことを忘れてはならない。 日中双方の相互利益と国民間の相互感情を好転させる上で、ノービザ解禁ほど低コストで有効な措置はないだろう。中国政府は対日関係改善に向けて、福島汚染水の海洋放出についても、中国の独立したモニターを日本と国際原子力機関(IAEA)が受け入れるのを条件に、日本産海産物の全面禁輸の一部見直しを示唆し始めた。 日中首脳会談は国際会議の場では22年から2回実現したが、自民党の政治資金問題で足元に火が付いた岸田首相が、東京―北京の首脳相互訪問を再開する環境は整っていない。関係改善の環境整備には、ノービザ解禁が疑いもなく早道なんだけどなあ。(了) <アーカイブへ>肺炎で正月4日から入院した。3~4日で退院できるかと甘く見ていたら、なんと1か月を超えてしまった。持病の心臓、肺など多臓器不全の原因を特定するのに時間がかかったからだ。入院したのは東京近郊の大学附属病院。
この病院には心臓病治療で20年前にも約3か月入院したけれど、医療現場の変貌はすざましかった。第1は患者と直接接触する看護師の超繁忙。病床に対応するには絶対数が足りない。看護師は患者のデータをPCに入力するのに精いっぱい。患者の顔色なんて見ずに、デジタル化した数値だけを打ち込んで容体の判断にする。 第2は、看護師の仕事をカバーするため看護助手の数が倍以上に増えた。「看護助手のナナちゃん」という漫画がある。20代の看護師が患者との交流を通じて、患者の生き方を浮き彫りにする。しかし現実は患者とゆっくり話す時間などない。ナナちゃんは20歳だったが、現実は助手の大半は50歳代の主婦で、時給1300円のパート労働。助手に資格は不要なため、職業訓練も病院で1週間受ける程度。スーパーのレジ打ちなどパート労働の転職先の一つに過ぎないから1,2か月でやめる人が多い。 第3は、20年前には気付かなかった病院内のタテ型の「階層社会」が急速に進んでいた。最上層の病院長に次いで医師、看護師、看護助手が続き、最下層には清掃労働者がいる。 「この薬飲んでないじゃないの。あんたが飲まないと私が怒られるんだよ。医者から業務命令違反と怒られるのは私なんだからね」 病床に大声が響く。この看護師は高齢患者の体調より、自分の責任回避を優先している。内向きなのだ。この「上意下達」はすべての階層に貫徹している。 入院中は足に水か溜まり靴が入らなくなった。靴をはかず車椅子に乗ろうとしたら看護助手が「靴履いてよ。看護師に叱られるのは私なんだから」と中年化した「ナナちゃん」に怒られた。彼女たちは上層の看護師の目だけを気にする。一方で自分の娘年齢の看護師に対する敵対心はすざましい。仲間内では看護師、医師への悪口で盛り上がっていると聞いた。 差別待遇もある。病因地下には「350円で安くて結構うまい職員食堂があるんです」と聞いたが。看護助手以下の階層は利用できない。最下層労働者は80歳代で腰の曲がった老人もいる。黙々とただ黙々と清掃する。年金だけでは生活できない高齢者だ。愚痴を言う下層がいないから、折れた腰をさらに曲げてモップかけ続ける。 「失われた30年」で衰退が止まらない見せかけの「大国」ニッポン。宰相は「新しい資本主義」をスローガンに、支持率上昇のために「車座対話」という無駄なショーを続ける。タテ型階層社会は病院だけでなく、天皇家をはじめ永田町、大企業、中小企業、学校などあらゆる中間共同体を貫徹している。 徳川時代に形成された日本型統治の伝統的特殊性でもある。衰退の中でむしろ強まっている。その成員は「上位下達」を受け入れるから上層への反抗心などない。権力統治の安全弁であり、こんなに統治しやすい「民主国家」はない。個人主義が根底にある王寧や中国とは異なる日本の特殊性だ。ここからはイノベーションは生まれず、ニッポン再生などないものねだり。 入院2日目、医師から「リハビリ始めましょう」と言われた。病院経営からすれば患者を早く退院させたい。回転数が早いのはコスパに合う。患者の多くは70代以上の高齢者。病因も特定できないまま退院を強いられるその姿は、病院が令和時代の「姥捨て山」化しているようにみえた。 <アーカイブへ>毎朝、郵便受けの新聞を取りに行くのが日課だ。元日となると、そいつは分厚くずっしりと重い存在感を放つ。本紙に加え政治・経済・国際展望、芸能、スポーツ、文化など、別刷り付録が正月を実感させる。思わずうなずくリポートや啓発される分析も多く、1紙だけで半日かけて丹念に目を通した。
楽しみだけではない。本紙の一面トップには特ダネ記事がおどろおどろしく「とぐろ」を巻くことがあるから油断禁物。それが中国やロシアに関する記事だと、「後追い」記事を書かねばならない。お屠蘇気分飛ぶ。これがバブル経済時代の元旦紙だった。 辰年(2024年)の元旦、ある全国紙の正月特集は「現役世代が今の8割(8がけ)に減る」2040年の世界を、ドイツ在住の作家の作品借りながら、縮み行く社会の実像に迫ろうとする企画。 描いているのは、少子高齢化による人手不足によって崩れいく社会の現実であって、未来の話ではない。タイトルは「その未来は幸せか」。「幸せ」「幸福」という主観的で不定形な用語を目にするだけでげんなり。啓発される視点や分析はみつからずなかった。こちらの体調がすぐれなかったせいかもしれない。 国際面トップは、全国ネットTVアナの職を捨て、国連難民高等弁務官事務所職員を経て、今は「ユネスコ」に転職した女性。何のことはない、日の当たる場をジョブホップする「勝ち組」成功物語、おそらく反感を抱く読者も少なくないだろう。 オピニオン欄は、いつも張り付いた笑顔の黒柳徹子インタビュー。「平和が基準 ケンカはしたくない」というタイトルを目にするだけでスルー。特集には藤井八冠。日本社会全体が、数少ない「遺産」を少しずつ切りとりながらなんとか生きている、という実相が浮かび上がる紙面だった。IT革命からはじき出された新聞の老衰ぶりがよくわかる。 大晦日から元日にかけ観るべきTV番組は、「孤独のグルメ」くらいじゃないか。これだって過去番組の「遺産」を繰り返し放映しているに過ぎない。松重豊のクールな演技で、いかに料理がうまそうに見えるか、視聴者の想像力を刺激する傑作番組だと思う。これも同じシーン(遺産)を繰り返し見せられているのだ。 元日の夕方、ソファで横になりながら「孤独のグルメ」を観ていたらグラッときた。能登半島沖地震。大津波警報が出て「3・11」が脳裏をかすめる。NHKをはじめ全国ネット局は地震中継に切り替え。しかし松重はしばらく独り言をつぶやきながら料理に向かっていた。 それもしばらくすると「~グルメ」は中断し地震番組に。横並びなのだ。ユメもチボウもねえ現実社会への抵抗として、せめて番組を続けてほしかった。ところでわが宰相といえば、大津波警報が出ているのに相変わらず背広姿。水色の作業服に変えたのは2日の昼前になってからだった。天皇が一般参賀中止したのを受け、慌てて決めたのでは。判断の悪い人だ。ユメもチボウねえ時代にふさわしい人物かも。(了) <アーカイブへ> 北朝鮮の偵察衛星打ち上げに伴い11月21日深夜、沖縄に全国瞬時警報システム(Jアラート)が発令され、防災無線が鳴り響き、航空機が駐機場で待機しモノレールは全線で約30分間運行停止したという。
Jアラートによる住民避難の報道を目にする度に「ホンマかいな?」と思う。衛星の弾頭部に本物のミサイルが装着されてないのは常識だからだ。衛星が仮にコースを外れたって、ロケットの一部や空筒が落下するだけの話じゃないか。 寒い夜中にわざわざ着替えて避難所にたどり着くころには、衛星はとっくに通過しているはず。高齢者なら健康に良くないことこの上ない。避難など不要。まして深夜や早朝なら「枕を高く」寝ているのが大正解だ。 こんな不条理な「避難ごっこ」を住民に押し付けるのは、国家が「国民の生命を守る義務」を果たすためではない。日本への軍事的脅威が日常化している実感を住民に味合わせ、 中国や北朝鮮、ロシアなど「仮想敵」の脅威感を増幅するためだ。 岸田文雄政権が「専守防衛」「平和国家」の憲法精神をかなぐり捨て「敵基地攻撃能力」の保有を認める安保関連3文書を閣議決定してから12月でちょうど1年。あれ以来日常生活に「軍事」がひたひたと浸食し始めている。 Jアラートだけではない。麻生太郎・元首相は国交のない台湾を訪問し、蔡英文総統と台湾有事の際の邦人保護への対処を話し合い、安全保障の日台連携を確認した。「邦人保護」とは聞こえはいいけど、戦時動員体制の一環。南西諸島の自治体で進む退避計画訓練も同じ狙いだ。 岸田政権は、自衛隊と海上保安庁が平時でも訓練に使用できるよう地方自治体の民間空港14施設と24港湾の計38施設を選定し、整備の関連費用を2024年度予算案に盛り込む方針を固めた。 「国家安全保障戦略」には「南西地域などの空港や港湾の整備・拡充や自衛隊による民間施設の利用範囲の拡大」が盛り込まれている。だが民間空港や港湾に自衛隊機や軍用艦船が出没することに抵抗を抱く自治体は多い。 このため政府は、「滑走路延伸や駐機場の拡充で航空需要に対応でき、港湾整備で大型クルーズ船の受け入れも可能」などと、インバウンド誘客につながる「アメ」を与え、平時でも自衛隊や海保が利用できるルール作りを自治体と結ぼうというのだ。(「朝日」23・11・27) 集団的自衛権の行使容認(2015年)で主要な役割を果たした兼原信克・元内閣官房副長官補は23年初め全国紙インタビューで、安保3文書の今後の課題として、「自治体調整」を強調し、具体的には、①自衛隊の港湾・飛行場など民間インフラの活用②核搭載可能な米艦船受け入れで自治体を説得③海上自衛隊と海上保安庁の実行計画-を挙げた。(「日経」23・1・24) この一年「大きい物語」では、改憲抜きに憲法精神を骨抜きにするなど政府による規範無視が横行、「小さい物語」を挙げれば「日常の軍事化」― 安保関連3文書決定から一年を経た日本の変化だ。(了) <アーカイブへ>「橋本龍太郎・前首相をメンバーにし、お歳暮として1万米ドル(150万円)の商品券」「秋山昌広元防衛事務次官の米ハーバード大留学費用として10万ドル(1500万円を支援」
これは台湾の李登輝元総統が1994年から2000年にかけ、台湾の国際的地位向上に向け日本、米国、台湾の三者連携を強化するための諜報機関「明徳小組」が行った対日工作の一端。 その機関の責任者だった台湾運輸機械公司の彭栄次理事長が2023年10月11日、88歳で息を引き取った。訛りのない完璧な日本語を操る彼は、台湾大学経済系を卒業後、金融機関勤務を経て台湾運輸機械公司に入った。2009年には日台民間交流窓口の亜東関係協会会長に就任したが、それは表の顔だ。 台湾内政から対日米関係に至るまで「李登輝側近」として裏工作に当たった「政商」である。彼が手腕を振るった諜報工作の内容は2002年3月、台湾週刊誌『壱週刊』(3月21日号)と「中国時報」(3月20日)がすっぱ抜いた。 それによると、小組の秘密資金は35億台湾元(約1638億円)に上る。彭が担った日本各界の包摂の対象は政界、官界にとどまらない。台湾研究で知られる元東大教授や全国紙幹部など学界、言論界にも及ぶ。 かくいう筆者も、1998年9月に共同通信台北支局に初代支局長として赴任して以来、彼とは定期的に会って取材し、2002年に帰任後も緊密に連絡を取り合った。食事はごちそうになったが、商品券や現金をもらったことはない。 彼の対日工作パイプは、日本外務省から語学研修で台湾大学に留学し彭と知り合った人物で、後に駐中国大使を務めた大物外交官だ。一方、米側パイプはカート・キャンベル国務副長官に、アーミテージ元国務副長官、ウルフォウィッツ元国防副長官ら、米歴代政権の対日政策に影響を与える「ジャパンハンドラー」だった。 彼の工作はどんな成果を挙げたのか。幾つか挙げると①1995年11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会合に、李登輝総統の出席を強力に働きかけ②橋本首相に対し、米国に密使を送り、台湾防衛を要請するよう促した。橋本は実際に密使を米国に送った③湯曜明・元国防部長が2002年3月、国防部長の肩書で初訪米-など。 少し長い射程で見れば、「台湾有事」シナリオを支える今の「日米台安保協力」の基礎を作ったのが最大の成果だろう。1972年の日台断交以来、「受け身」に徹してきた日本の台湾政策を「主体的関与」に転換させた現状をみれば、彭も思い残すことはないと思う。 各種世論調査では、日本人の台湾への好感度は75.9%に上る一方、対中好感度は17・5%に過ぎない。台湾への好感度の理由は、台湾の民主的統治など共通価値観や災害での相互支援など「ソフトパワー」によるだけではない。 西側は李登輝を「ミスターデモクラシー」と呼ぶが、札束を使ったダーティ工作こそ、効果を発揮したことがよくわかる。(了) <アーカイブへ> 「香港マンダリンオリエンタルのピアノ弾きは何と、何と!Love is a many-Splendoredthing のリクエストに応えられず!」 SNSにこう書き込むのは60歳代の日本人観光客だ。香港旅行中に体験した「ビックリ仰天」ぶりが伝わる。
「Love is a many-Splendored thing」とは、香港を舞台にした1955年のハリウッド映画「慕情」の主題歌。アカデミー賞歌曲賞を受賞し、カバー曲も多いスタンダードナンバーだ。だから香港の超有名ホテルのラウンジで、リクエストに応えられない今の香港をいぶかったのだ。 映画「慕情」は、国共内戦から朝鮮戦争へと急転変する東アジア国際政治を背景に、米特派員と女性医師の悲恋を描いた韓素音(ハン・スーイン)の同名小説の映画化。香港島の頂上ビクトリアピークから見下ろす香港の街並みや、トラムや人力車でごった返す当時の風景は、映画を観た世代にとって「香港の原風景」にもなった。 かく言う筆者も1986年に香港に通信社特派員として赴任した時は、「慕情」の舞台と、現実の香港の街並みを重ね合わせたことが何度もあった。日本や中国大陸から知り合いが来れば、ビクトリアピークから「100万ドルの夜景」を眺め、広東料理を楽しんだ後は、東西文化が混じり合い、隠微で怪しい「魅力」にあふれた街を案内した。 冒頭の観光客によると、かのピアニストは白人男性で発音からするとロシアないし東欧出身者ではないかという。そうだとするなら、映画「慕情」を観たこともその主題歌を知らずしても不思議はない。「慕情」の香港に普遍性はないのだ。だが観光客は「香港でピアノ弾いているなら知らなくちゃ」と後に引かない。人は自分の経験を「普遍性」があると信じたがる。 2019年の大規模抗議デモから、北京政府が2020年6月に香港政府を飛び越え「国家安全法」を導入した過程を振り返れば、今の香港政府が「英植民地」の香港イメージを可能な限り払拭し、中国の特別行政区として中国化された香港イメージを押し出したいことが分かる。。 中国が強引に国安法を導入したのは、デモの一部が過激化したこと、米情報機関と関係がある「国際人権組織」から支援を受け、「香港独立」というレッドラインを踏んだためだった。これを認めれば、台湾をはじめ新疆ウイグルなどの分離独立の動きを刺激するだけではない。共産党統治自体が揺らぎかねないのを恐れた。 香港観光は2019年までは、英植民地時代の怪しげなイメージが「売りもの」だった。しかし今は違う。香港の「中国化」に歯止めはかからないだろう。想像するに、ホテル側も敢えて英植民地時代のヒット曲をピアニストに習得させなかったのではないか。「慕情」の香港はもはや映画の中にしかない。(了) <アーカイブへ>「台湾有事は日本有事」「(中国と)戦う覚悟を」 首相経験者が中国の脅威と台湾有事を公然と煽る中、沖縄の那覇で9月9日、中国学者2人を招いて沖縄識者4人と対話と議論を交わすシンポジウムが開かれ、筆者はその司会を務めた。
主催は岡本厚・元岩波書店社長らが呼びかけた「『台湾有事』を起こさせない・沖縄対話プロジェクト」と沖縄タイムス社。土曜の午後にもかかわらず170名の聴衆とオンライン参加約300名が4時間にわたって議論に参加した。 初めに宮本雄二元駐中国大使が基調講演。日本で軍事力による抑止力強化ばかりが重視されている現状について「外交の視点が欠落」と批判、日本は米中の意思疎通の「潤滑油」になれと提言し、「一つの中国」の枠組みの堅持を呼びかけた。 続いて呉寄南・上海市日本学会名誉会長が、中国は武力統一を最終目標にしたことはなく、追求しているのは平和統一であり、「台湾有事を誇張するのは歪曲」と有事論を批判。上海国際問題研究院の厳安林・学術委員会主任も、「台湾有事は日本有事」とする安倍晋三発言を「米国覇権の利益に合致する」発言であり、米国は日本を中国攻撃の「駒」にし、沖縄を米覇権の「スケープゴート」(いけにえ)にしようとしていると批判した。 両氏とも「中国と台湾は一つの中国に属し、台湾問題は中国の内政問題」と強調、日米両国が中国との間で「内政干渉はしない」と誓約していると強調した。 二人の講演に対し、会場とオンライン視聴者から「台湾人は統一を望んでいないのだから中国の内政問題ではない」「台湾を統一すれば香港同様、民主主義を抑圧するのでは」「台湾の将来は台湾の人々が決めること」など、率直な疑問が寄せられことを紹介し、中国側学者もこれに誠実に答えたと思う。 ところが日本の経済誌に勤めるある台湾出身記者は、わざわざシンポに参加した後SNSに、「1分おきに嘘が一つ混じっている」と、誹謗中傷する書き込みをした。「ウソ」とは聞き捨てならない。「何が嘘なのか」、計4時間で「240回分のウソ」を具体的に挙げるよう要求する。 この記者はある月刊誌の対談で、「本音を言えば独立したいわけ」と公言するギトギトの独立派。そして彼は、筆者が議論の前後に「台湾問題は中国の内政問題と思うか」と、会場参加者に質問したことを「中国の言い分を同意するかまで確認していた」と書いた。 会場の反応を知りたいのは筆者だけではあるまい。この質問になんと7~8割が挙手したのだった。4時間に及ぶ対話で、「一つの中国」と「台湾問題は中国の内政」に対する認識がいかに深まったか、彼にとっては「不都合な真実」でしかなかったようだ。これこそが対話の成果と醍醐味と自負している。(了) <アーカイブへ>大学病院の待合室で診察の順番を待っていると、突然「パチ、パチ、パチ」と大きい拍手が沸き上がった。前の席の中年女性が「何かあったんですか?」とつぶやくと、隣の女性が「WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本が勝って優勝、世界一になったのよ、おめでとう」と興奮気味に説明した。
「静粛」がモットーの大学病院で拍手が沸くって珍しくない? 衰退が加速度的に進行するこの国で、「世界一」と自慢できる領域はどんどん狭まっている。アニメ・漫画と並びスポーツのいくつかの種目は、数少ない自慢の種になった。 そんな現状を浮き彫りにした光景。この日のNHKニュースは一日中、「日本が世界一」がトップニュース。まるで日本が「スポーツ国家化」したようだった。かつて世界に誇った日本の製造業や技術力はどんどん衰退、生産性や賃金の下降は主要先進国G7で最低。 1990年代から始まる衰退が顕著になったのは、7年8か月にわたり最長政権を維持した安倍晋三政権時代だ。片山杜秀・慶応大教授は安倍時代の特徴として、「日本の国際的な地位低下への不安と、日本の強い存在感への希求」と分析、「日本の国はまだまだ強い」と思いたい民衆の願望を満たした、とみる。世界一に沸くのは、衰退の「逆立ち現象」であり、TVがあおる「日本ホメ」と同じだ。 野球だけじゃない。23年7月からのサッカー女子ワールドカップで、日本代表が強豪スペインに4対0で勝ち、決勝トーナメントに進むとNHKは夜7時のニュースで長々とトップで伝えた。 女子サッカー人気は2011年のW杯優勝をピークに下降線をたどっているという。プロ化をうたった「WE(ウィー)リーグ」は2021年に開幕したが、観客数は低迷している。男子リーグとは比べものにならないほど、マーケット(市場)がないということだ。 そのころ、女子W杯で優勝した選手たちがエコノミークラスで欧州入りしたのに対し、男子代表は同便のビジネスクラスを利用するなど、男女格差(ジェンダーギャップ)が、注目されるようになった。 米国では女子サッカー人気は高く、日本より市場は大きい。にもかかわらず報奨金が男子の3分の1に満たないとして、女子選手が米雇用機会均等委員会に訴え、報奨金を男女均等にする和解を2022年に勝ち取った。市場に見合う待遇をすべきという論理だろう。 世界経済フォーラムによると、日本のジェンダーギャップ指数は2023年、146カ国中125位と、前年から9ランクダウンした。男女の待遇差を市場主義から説明し、正当化し続ければ、性差は永遠に解消しない。 日本が「スポーツ国家」を目指すなら、市場主義で選手の待遇を決めてはならない。性差別を当然視する集団的な社会意識にメスを入れるのが必要条件だ。パート労働者、看護師、介護士など、日常生活に欠かせない女性労働者の待遇改善もまた、市場主義から決めてはならない。コロナ禍の中で我々はそのことに気づかされたはずだ。(了) <アーカイブへ>「上質な観光大国」をめざすため、インバウンドで「脱中国」を進めて欧米などの富裕層を増やすべきと主張する記事を読んだ。「欧米白人」を上質と持ち上げる視線を裏返せば、中国人やアジア人への差別意識が透けてみえる。日本経済新聞(2023年6月12日付)の記事である。
「脱中国」の理由はまず、中国人観光客の「お行儀の悪さ」。「まだ海外旅行の初心者も多く、京都など有名観光地に集中してしまいパンク状態を招いた」と、中国人観光客が集中した京都などを例に、地元との摩擦を挙げた。記事は「日本が上質な観光大国をめざすなら『今後集客すべきなのは欧米からの客。日本の観光を、単純にコロナ前の姿に戻してはいけない』」と提言する星野佳路・星野リゾート代表のコメントを自己主張のよりどころにする。欧米の金持ちを「優良顧客」とみなし、中国人観光客は「不良顧客」と言いたいのか。まるで「中国人お断り」と言わんばかり。 欧米観光客をすべて「優良」とみなすのは幻想にすぎない。欧米からのバックパッカーの若者が、夜中に路上で酒を飲んで大騒ぎするのは知られている。いまや北京,上海など大都市からの金持ち観光客は、お行儀のよい高額消費の「優良顧客」の代表でもある。帰属から人を判断する偏見の典型と言える。 いま50~60代の日本女性は、20代だったころの40年前を思い出してほしい。ツアーで訪れパリ、ローマ、ニューヨークのブランドショップで、バッグにスカーフ、ネクタイと我先に「爆買い」し、現地の店員から眉をひそめられたことを。「爆買い」中国人は40年前のあなたの姿だ。 コロナ前の2019年の外国人観光客のうち約3割が中国客だった。しかし23年6月段階の中国客数は19年比でなんとマイナス91%。日本政府が中国旅券所持者に、事前の個人ビザ(査証)取得を義務付けたのが第1の理由。取得には年収10万元(約200万円)以上の証明が必要。第2に中国政府が団体旅行の解禁国から日本を除外していることもある。中国では、国境を越えたインターネット通販「EC(電子商取引)」が盛んで、日本からのEC市場規模は2兆円超。団体観光客が解禁されても、電気製品や化粧品の「爆買い」が戻る可能性は少ない。 記事は、「今後のインバウンドは、やはり人数至上主義から『質』重視への転換を各地、各企業で進めることが大事なのではないか」と締めくくる。コロナ禍で落ち込んだ旅行業界と関連小売業は、果たして提言を歓迎するだろうか。 「お、も、て、な、し」と、シナを作って誘客キャンペーンを展開してきた日本の本音がこうだったのかと知れば、多くの中国人は訪日を控えるに違いない。(了) <アーカイブへ>「人間の思考様式を生成AIが直接変えるかもしれない」と書くのは、憲法学が専門の山本龍彦・慶応大法科大学院教授。文章や文書を自動的につくる「Chat(チャット)GPT(Generative Pretrained Transformer」の急速な進化と普及に伴う「光と影」を論じる記事(日経デジタル・2023年5月28日付)からの引用だ。
山本の論旨は次のようなものだ。中世ルネサンスと宗教改革を経て欧州では、人がキリスト教の呪縛から解放され、「個人が自己決定する世界観が確立された」。だが生成AIが人の意思決定の過程に深く入り込めば「人間は自律的、主体的に意思決定できる存在」という前提が揺らぎかねないとし、「自己決定を前提にした民主主義による統治の仕組みはいったい、どうすれば維持できるのか」と自問する。 刺激的な問題提起だと思う。だがその主張には全面的にはうなずけない。まず中世欧州で、人が神の呪縛から解放され「人間は自律的、主体的に意思決定できる存在」になったのはその通り。民主主義というイデオロギーは、個人主義を前提に成立した市民社会の産物だと思う。 問題は、それに普遍性があるかである。家父長制型の社会構造が色濃く残るアジアでは、「人間は自律的、主体的に意思決定できる存在」ではなく、「上意下達」の権力構造を受容する社会規範が色濃く残る。それは多くの日本人が「独裁国家」として忌み嫌う中国だけの話ではない。日本もそうだ。 日本人としての固有性は、「同質一体」という架空の物語の共有にある。その頂点には「万世一系の天皇制」があり敗戦を経ても生き残った。同質一体から生み出される優先的な社会規範は「秩序維持」だ。秩序維持は、中国のような「強制力」ではなく、「言葉によらないコミュニケーション」(空気)と「摩擦回避を優先し事実を究明しない」という日本的な作法が保証する。組織で生活したことがある人は、この作法の「明と暗」を味わった経験が必ずあるはずだ。 生成AIに話を戻す。山本は「日本は欧米に比べ、AI統治の基本理念を明文化する努力が遅れている」と指摘する。それは当然だ。「人間の自己決定権」という個人主義と市民社会意識が日本やアジアでは希薄であり、生成AIによってそれが失われる危機感が薄いためだ。 あらゆる意思決定をはじめ言語、文学、音楽、絵画にはすべて「前例」がある。自分の発する言葉は「私固有のもの」と考えるのは幻想である。私がよく使う表現の中には、漱石や龍之介の作品の借り物がたくさんある。時には井上ひさしや野坂昭如も混じっている。 そう考えれば「人間の自己決定権」に普遍性を見ることにどれほどの意味があるか。フランスでは年金受給年齢の引き上げに抗議してデモが繰り返されている。日本では、マイナンバーカードに別人の銀行口座番号が紐づけられても、反対デモが起きたという話は聞いたことがない。(了) <アーカイブへ> 「若い記者たちとやり取りすると、『冷戦』というタイトルが出てくるだけでドン引きする。『昭和の左翼がガード下で議論しているイメージで論理的な感じがしない』と連中は言うんです」とぼやくのは40歳代の編集者。
記者ですらそんな意識なら、「ヤフコメ」(Yahooニュースのコメント欄)で「極左老人」という称号をいただいた筆者の記事など、多くの若者から何度ドン引きされていることやら。「ドン引き」とは「しらける」、「気持ち悪い」などの意味で使われる若者用語です。 その編集者から「安全保障も経済も周囲で起きていることに恐ろしいほど無関心な日本の状況が心配。今の日本の民度や知識層の厚みは60、70年代と比べ劣化したのだろうか」という質問が飛んできたので、苦手なスマホを使って次のように打ち返した。 ――私には「民度」なるモノサシはありません。帰属から人を類型化するのは誤りでしょう。 時代変化の要因の第1は、東日本大震災で「Line」通信回線が「威力」を発揮しSNSが若者に急速に浸透拡大したこと。それに伴い情報の個人化(個化)が進み、情報源の世代間格差も広がりました。若者の新聞離れが進み、TVのニュース・ワイド番組を観るのは主として家にいる時間が長い高齢者です。「嫌中、嫌韓」が売りの番組を観ていれば、高齢者にも嫌中・嫌韓意識が広がるのは当然です。 新聞やTVが多くの人の情報源だった時代は去り、国民「共通の前提」がどんどん失われています。これは世界共通の現象だけど、「失われた30年」によって経済衰退が深まる日本では、世界情勢を我が事としてとらえる「モチベーション」が希薄だと思います。 大学生から「国際情勢を論じるだけで、“意識高い系”とイジられる」と聞いたことがあります。国際情勢の変化が、自分の生活や「生死」を左右しかねない国は多く、それはウクライナだけではありません。 第2に指摘したいのは、小さな島で「ニッポン人は同質で一体」という幻想を共有する特殊性です。「同質一体」意識は、高度成長期には集団主義メリットを発揮し成長エンジン役を果たしてきた。でも衰退期のいま、同質一体幻想が支える終身雇用、年功序列システムは「おじゃま虫」でしかない。 東芝、日立など日本が誇った製造業も凋落した。製造業を先頭にアジア展開し「アジアの盟主」を目指したのは40年以上も前です。いまや製造業に代わってアジア展開が目立つのは、特殊詐欺グループになった。 カンボジア、タイなどを拠点に詐欺電話をかけまくり大金をせしめる対象は、日本の年金暮らしの老人ばかり。まさに「タコの足食い」ですが、同質一体幻想に浸かっている日本人にしか通用しない犯罪でもあります。この幻想から早く目覚めること、政府も社会も守ってくれません―― <アーカイブへ>岸田文雄首相の遊説会場に爆発物が投げ込まれ(4月15日)、昨年7月の安倍晋三元首相の銃撃事件の記憶が蘇った。現場が遊説会場で発生時間もよく似ていたが、岸田が爆発前に避難して無事だったのは幸いだった。
ANN(テレビ朝日系列)が、爆発事件当日と翌日行った世論調査の結果、岸田内閣支持率は前月比で10.2ポイントも大幅上昇し45.3%(不支持34・6%)だったという。ANNは上昇理由を伝えていないが、少子化対策や防衛増税への支持率は低かったことから考えると、爆発事件への同情が支持率を押し上げたのかもしれない。 一歩間違えば生死にかかわる「不幸」な事件の発生、その結果支持率が上昇したとすれば「禍を転じて福と為す」の典型のようだ。支持率上昇は、選挙結果にもプラスの影響をもたらすとすれば、首相はかなり強運の持ち主だ。 21年の岸田政権発足以来の世論動向を振り返ると決して順風満帆ではなかった。安倍国葬を過半の反対を押し切って強行し、旧統一教会と自民党議員の癒着処理の不徹底や相次ぐ閣僚辞任から、支持率低迷が続いてきた。 毎日新聞の世論調査によると、内閣支持率は22年12月に25%にまで落ち込んだ。しかし3月の世論調査では、ウクライナ訪問と日韓首脳会談による関係正常化を好感して支持率は上昇傾向に転じ、危険水域を脱したという。 日本はことし先進国主体の「G7」議長国。岸田は政権基盤の強化と自分のレガシー作りのため、5月の広島G7サミット成功を政権運営の最大のプライオリティーにした。ことあるごとに「核なき世界の実現」と強調する首相だが、米国の「核の傘」に入っている現状と、核兵器禁止条約に頑迷に反対する政策は、「核なき世界」の理念と矛盾する。 そんな中、米タイム誌は4月13日、2023年の「世界で最も影響力のある100人」に、日本人から岸田とゲーム開発者の宮崎英高氏の2人を選んだ。その理由について、岸田のウクライナ訪問に加えて「故郷の広島の原爆によって何人もの親族を失い、戦争の痛みを知っている」ことを挙げるのだ。 さらに「ロシア、中国、北朝鮮による脅威に直面し、日本の外交政策の革命的変革に着手し、軍事予算を50%も増額し日米同盟を強化した」ことにも触れた。岸田は22年末、安保関連3文書の改訂を閣議決定し軍事予算の大増額と敵基地攻撃能力の保有を容認、歴代政権が守っていた専守防衛政策を放棄し、憲法9条を「殺した」張本人である。 「タイム」は米国益を最優先する保守系誌だから、バイデン政権の安保政策を忠実に追従する岸田を選ぶのは分かる。むしろ、米国の一週刊誌の見立てをあたかも「世界の声」かのように持ち上げ報道する日本メディアのスタンスこそ「お笑い」と言うべきだろう。(了) <アーカイブへ> 岸田政権が3月13日からコロナ感染禍で定着したマスクの着用を、「個人の判断」に委ねることにした。NHKをはじめTVのお昼のニュースは空港や駅、飲食店、コンビニ、病院など多くの人が集まる場所から「街の声」を拾い、賛否両論を伝えるのだった。
新聞休刊日だったこの日、全国紙のデジタル版もやはりマスク問題を大きく取り上げた。目を引いたのが、「よくわかる」と題したコーナーで『マスク着用、13日から「個人の判断」 何が変わる?』という長文記事を掲載した全国経済紙。 記事は、▽「個人の判断に委ねる」とは何か?▽企業の対応は?▽再び感染が拡大したらどうする?―に自問自答する内容。「個人の判断に委ねる?」の回答は「感染状況やその場のリスクに応じて、自分で着用したり、外したりを判断することが基本」。「自分で判断することが基本」としているのだから、それ以上の細かい説明と指南は必要なのだろうか。 心臓と肺の持病を抱えるわたしはこの3年、外出の際は必ずマスクを着用しガードしてきた。ただ朝のウォーキングの時は「息苦しさ」が耐えられず、「個人の判断で」マスクは着けなかったが、それを咎められたことはない。 マスク着用の基準は、要するに「感染を防ぎ、感染させない」ことに尽きる。何から何まで、「お上」に判断を委ねる日本社会の伝統的体質は、「お上と民」の距離と関係を示す日本社会の特殊性を物語る。 記事によれば、厚労省のパンフレットは「個人の主体的な判断が尊重されるようご配慮をお願いします」と書いているそうだ。裏返せば、「個人の主体的判断」が尊重されないケースがいかに多いかということになる。事細かに「お上」に判断を仰ぐ日本社会の伝統的体質は、お上にとっては「御しやすい」対象に違いない。 この新聞はおまけに『「脱マスク」へ混乱を避けたい』と題する社説までつけた。「個人の判断とは~中略~一斉に外せというメッセージでない。改めてこの点を周知させてもらいたい」「人々の困惑を招かぬよう、政府に丁寧な説明を求める」。 ここまで読んでほぼ「抱腹絶倒」しかけたけれど、すぐ真顔に戻った。いくら大新聞といったって、多くの民が「困惑」しないようお上に「丁寧な説明を求める」という主張は、民を無知蒙昧な存在とみなす「衆愚論」なのではないか。「愚かな民」を賢明に支配・統治する「偉大なリーダー期待論」にも通じる。誰が隣の大国を「専制国家」と笑えるのか。 安倍晋三元首相が退陣に追い込まれた理由の一つは、「安部のマスク」の国民向け配布だったと思う。マスクを着けるたびに思い出す「身体性」を持った政治の「あほらしさ」を、衆愚が揃って見抜いたのだった。(了) <アーカイブへ> バイデン米政権は、米大陸を横断する中国の「偵察気球」を2月4日撃墜したのに続き、10~12日には3日連続で「飛行物体」を撃ち落とした。カービー戦略広報調整官は、「国籍や所有者は不明」「偵察を疑う具体的理由もない」と述べるのだが、中国が偵察目的で飛行させたのではという「印象操作」的報道が続く。
中国側は、4日に撃墜された「バス2台分もある巨大気球」については、「民間の気象研究用で、不可抗力で米国に侵入したのは予想外」と遺憾の意を表明したが、撃墜については「過剰反応で国際慣例に重大に違反」と非難。外交部報道官は13日、「米国の気球は22年以来10回あまり中国の領空に侵入した」と「反撃」に出た。 中国気球について、米議会では野党共和党の対中国強硬派議員から、「撃ち落とすまでに8日間を要した」と、政権の対応を問題視、親台湾派のマルコ・ルビオ上院議員は「中国がインドや日本から領土を奪い台湾を侵攻しても、何もしないというメッセージ」と、政権を辛辣に非難したほどだった。 バイデン氏は7日、こうした「中国敵視感情」を受けながら、施政方針演説にあたる一般教書演説を行い、中国の習近平国家主席を名指しして「民主主義国家は強くなった。専制主義国家は弱くなった」と、中国批判を際立たせるのだ。 気球事件を受けブリンケン国務長官は、2月4日から予定していた初訪中を延期し、外交問題へと発展した。議会反応とそれを受けた大統領演説の内容をみて、中国の旧知の国際問題研究者は「これは内政の分断に苦しむアメリカの内政問題でしょう」とコメントする。内部分裂を糊塗するため、中国という「外敵」に非難を集中することで、団結を回復しようという伝統的な「病」と見るのだ。 子供時代に観たハリウッド西部劇は、先住民の襲撃や外敵から街を守るため、ヒーロー役が、敵のガンマンに向けて銃を撃ちまくるシーンが必ずクライマックスにあった。そのシーンと戦闘機による「飛行物体」の撃墜は重なって見えてしょうがない。 米国の歴史を振り返れば、建国以来、南北戦争や公民権運動など社会的分断と政治的対立が常に内政を占め、一つに統合したことはない。だからと言うべきか、外に敵を作らないと生きられないメンタリティが支配的なようだ。西部劇だけではない。共産主義者排除の「赤狩り」、日本バッシング(叩き)に、「9・11」後のイスラム過激派との戦争—。数えればきりはない。 米中対立から始まる「チャイナ狩り」では、中国留学生・研究者や共産党員の米入国を制限し、中国語普及のための「孔子学院」の一部を閉鎖した。「民主か専制か」の二元論思考や「外敵を求める」メンタリティに普遍性はない。 にもかかわらず、米国の主張に引きずられ、オウム返しに中国非難を繰り返すメディア。今回の「気球神経症」ともいうべき米国の深い「病」を共有してはならない。(了) <アーカイブへ>「(台湾)海峡両岸は親しい家族。両岸同胞が向き合って歩み寄り、手を携えて前進し、中華民族の末永い幸福を共に創造するのを心より望んでいます」 2022年の大晦日、テレビでこう語りかけたのは、中国の習近平国家主席。台湾統一にも武力行使にも一切触れない、実に温和なメッセージだった。
前年のあいさつは「祖国の完全統一実現は、両岸同胞の共通の願い。すべての中華の子女が手を携えて前進し、中華民族の素晴らしい未来を共に築くことを心から期待する」だった。統一を前面に出し、中国の統一戦略受け入れを迫るような固い印象だ。 なぜこうも温和なトーンに変わったのか。それを解くカギは22年11月の台湾統一地方選での与党、民主進歩党(民進党)の惨敗。21の県・市首長選で野党・国民党が1増の13ポストを獲得する一方、民進党は1減の5ポストと結党以来の敗北を喫した。 中国側はこの選挙について「台湾独立勢力による『抗中保台』(中国に対抗し台湾を守る)は人心を得られなかった」「選挙は、『平和、安定、発展』が台湾社会の主流民意であることを示した」と分析した。蔡総統が選挙戦終盤に対中政策を争点化したことが敗因とみる。 蔡政権は米政権と共に「中国は台湾に武力侵攻しようとしている」と「台湾有事」を煽り、中台関係は悪化する一方。しかし、台湾にとって中国は輸出や投資の4割近くを占め、政治的に対立しても、経済的には共存関係にある。中国と敵対するばかりでは台湾生存の保証にならない。 中国との関係を悪化させる蔡政権が民衆の離反を招いた、という中国側の分析には一理ある。台湾有権者は、選挙のたびに台湾海峡情勢をはじめ、米中、米台、日中、日台など多くの変数からなる方程式を「複眼思考」で解かねばならない。 台湾政治は、1年後の総統選挙に向けて選挙モードに入った。習氏の温和メッセージは、蔡政権に「ノー」を突き付けた台湾有権者に向け、総統選でも政権交代の選択をするよう促したのではないか。台湾当局と民衆を分け、民衆には「平和攻勢」に出たという見方だ。 台湾というと「緊張」の代名詞のように受け取られがち。しかし国民党の馬英九政権時代(2008~16年)は関係は大幅に改善された。中台の航空直行便が解禁され、「経済協力枠組み協定(ECFA)」も締結、馬氏と習氏のトップ会談(2015年)まで行われた。 総統選で政権交代し両岸関係が好転すると、「台湾有事論」は宙に浮き、中国は米台軍事協力強化に「くさび」を打てる。「台湾有事」を念頭にした岸田政権の大軍拡路線も根拠を失いかねない。政権交代はまるでオセロゲームの大逆転のように、東アジア政治の「ゲームチェンジャー」になる。習氏の「平和攻勢」は、それを十分意識している。(了) <アーカイブへ> 習氏3期目は「いばらの道」
中国政府が都市封鎖やPCR検査の徹底など「ゼロコロナ政策」を大幅緩和し、若者を中心とする「反体制デモ」を抑え込んだ。首都北京などで11月末、言論抑圧への抗議の意思を表す「白紙」を掲げた若者から「習近平辞任」や共産党に反対する声が上がった。 習氏は10月の党大会でも「ゼロコロナ政策」の正しさを強調していたから、これほど素早く規制緩和に舵を切るとは驚きだった。第3期目をスタートさせたばかりの習指導部が、「反ゼロコロナ」デモが反体制運動に発展しないよう、芽を摘んだ形だ。 「デモ支持」を表明していた欧米や日本メディアの一部には、香港の抗議活動や天安門事件の再来を期待する向きもあったから、さぞかし拍子抜けしたのではないか。一人当たりのGDP(国内総生産)が1万ドル(2019年)を超え、中産階級が育ち始めた中国で、AI技術を駆使した監視社会や統制強化に反対する声が爆発しないのはなぜか。 多くの中国民衆がそれを受け入れてきた理由として、梶谷懐・神戸大学教授は共著『幸福な監視国家・中国』で、豊かさや利便性と監視のバーター取引だからではないかと分析した。ゼロコロナ政策は、この両者の微妙なバランス(均衡)を崩し、若者の失業率を増大させ、「豊かさ」と「利便」を享受できなくなる状況に追い込んだ。それが今回のデモにつながった。 14億の巨大国家には、習一強支配に反対する声があるのは事実だ。しかしそれが一党独裁の転覆を目指す反体制運動に発展する条件はあるだろうか。第1に、中国民衆の多くは、先鋭化する米中対立の中で、バイデン政権が「民主vs専制」という価値感対立から中国包囲網を敷いているのを知っている。「民主」の旗を掲げるのは、欧米側を利することになるから、要求を「民主」に収斂させにくい。 第2は人々の意識変化。それなりに豊かになった生活と社会は、貧しく「失うものはない」30年前とは異なる。豊かさを実現した共産党支配の全面否定にはつながらない。 第3は、天安門事件当時は胡耀邦、趙紫陽両氏ら政治の民主化に積極的で、デモの若者に同情的なグループが党中枢に存在した。民主化実現のリアリティがあったが、現在の指導部には、政治の民主化を推進する勢力は存在せず、民主化実現のリアリティはない。習体制や共産党に挑戦する勢力も党内外に存在しない。 習氏は党大会で「より良い生活を求める民衆の要求」に応える新政策として、分配重視の「共同富裕」政策を打ち出した。しかしそれを実現するのは簡単ではない。ゼロコロナ政策による成長鈍化に加え、少子高齢化や米国の経済デカップリング政策など成長制約要因は事欠かない。「白紙デモ」は、スタートしたばかりの習体制がいばらの道であることを象徴している。(了) <アーカイブへ>「習氏に権力集中、加速」「異質な価値観、終身支配も」 いずれも中国共産党第20回党大会(10月16~22日)を報じた全国メディアの見出しだ。習近平党総書記の3期目が承認され側近で固めた人事などを「一強独裁支配の強化」とする批判的視線が滲む。
大会で最も注目されたのは、胡錦涛前総書記が途中退場したシーンだろう。胡氏はパーキンソン病と認知症が進行しているとされる。国営新華社通信はツイッター(英文)で「体調が優れなかった」と書き込んだが、これに納得する読者は少ないはずだ。 「嫌がる胡氏を無理やり退場させた」ように見えたことから、胡氏の出身母体「共産主義青年団」出身幹部への冷遇人事に、胡氏が不満を抱き「習近平独裁への抗議の意思表示」「習氏が反対派への見せしめとして退場させた」と見る識者の憶測は今も止まらない。 しかし胡氏は、退場前に中央委員名簿を見た上で投票を済ませており、習氏の机の上の赤いファイルの人事情報を見ようとしたという「解説」に根拠はない。いずれも主観的な期待に基づいた心象風景を習、胡両氏に投影した域を越えない物語だ。 「密室政治」を権力闘争の角度から観測する伝統的な分析方法でもある。退場前の胡氏の表情や挙動からすると「病状説」が最も説得力がある。 中国報道を振り返ると、われわれ自身の中国観があぶり出されることに気付かされる。ある記事は「異質な価値観で『社会主義強国』へと突き進む習氏に、日米欧など国際社会はさらに長期的な対峙を迫られる」と、中国政治を「異質」とみなし「国際社会」と対立する構図を描いた。中国批判の縮図のような視線。「民主vs専制」二元論でもある。 明治維新以降われわれの対中観は、中国の政治・社会に日本や西洋の国家モデルを投影し、国民国家の基準から対比・判断してきた。魯迅研究で知られる竹内好は、「近代化の過程は日本型が唯一のモデルではなく多様」と喝破したことがある。 習氏は、「中華民族共同体意識」というイデオロギーを強調する。皇帝を戴く伝統的な中華帝国は多民族、多言語など多元文化を共存させてきた。異質な文化の共存には「一強」の皇帝でないと安定しない。分裂の契機が常にある中国にとって、「統一国家維持」は至上命題なのだ。 清朝を倒した孫文は、中華民国の建国にあたり、単一の国民意識によって民衆を束ねる国民国家を目指し、伝統的秩序との衝突・矛盾に苦しんだ。軍閥による分裂だ。中国共産党は、皇帝型秩序と親和性のある権力集中型のマルクス・レーニン主義を内在化し、伝統秩序と国民国家の矛盾・衝突の「解」を見いだした。 一党独裁の中国をこの「3層秩序」から観察すれば、統一国家維持の至上命題のため「習一強」や「中華民族共同体意識」のイデオロギー強化の意味は理解できる。国民国家から生み出された「民主」だけから、中国政治を切り取ると本質を見誤る。(了) <アーカイブへ> 濃い目のコーヒーを飲みながら朝食をとっていた手が思わず止まった。「Jアラート! Jアラート! 飛翔物体が発射されました。建物の中か地下に避難してください…」 TVのニュース番組が中断され、甲高い無機質なアナウンスがエンドレスに繰り返された。10月4日朝7時半ごろから8時まで…
日本政府の発表によると、北朝鮮は同7時22分ごろ中距離弾道ミサイルを日本海に向け発射し「日本上空」を通過した。これを受け政府が、北海道と東京島しょ部に、全国瞬時警報システム(Jアラート)を発令したのは同29分ごろ。だが実際に青森県上空を通過したのは同28~29分ごろとされる。 わずか1分間で、対象地域の住民が避難行動をとるのは難しい。対象地域では、防災無線やサイレンが鳴り響き、通勤、通学時間帯の交通機関は新幹線を含めて乱れ、臨時休校した学校もあった。ミサイルは実際には約20分間で約4600キロ飛行し、太平洋に落下していたというのに。 問題なのは、①避難呼びかけはミサイル通過とほぼ同時か通過後だった②東京島しょ部と千代田区、稲城市にも誤って送信されたー。自民党内の会議では、Jアラートについて「不正確で遅い」「国民を惑わす形になった」など、批判が相次いだという。 ミサイル発射を受けJアラートが発令されたのは2017年以来だった。17年4月29日のミサイル発射(失敗)では、東京メトロはなんと地下鉄全線を停止させた。仮にミサイルが日本向けなら約10分で落下する。地下鉄の運行停止は発射から40分後。しかも「実験失敗」報道の後だった。「Jアラート」の精度と問題点は、当時から指摘されていたのだ。 ことほど左様に、弾道ミサイル発射を探知しその軌道を瞬時に割り出すのは難しい。米、中やロシアは、低空で極超高速を飛行する極超高速ミサイルを開発、配備しているとされる。イージス艦や「イージス・アショア」など、現在のミサイル防衛システムでは、これら新型ミサイルには対応できない。 注意したいのは①日本上空通過②落下地点が日本の排他的経済水域(EEZ)の内か外かーの2点。今回は青森県上空を飛行したとされるが、「上空」と聞き「日本領空が侵犯された」と早とちりしてはいけない。領空は地上から約100キロの大気圏内までであり、そのさらに上の大気圏外には、領空は存在しない。だから領空侵犯ではない。 第2.かりにEEZ内に落下しても「資源の優先開発権」を冒すわけではないから違法性はない。この辺りはメディアはちゃんと説明すべきだ。では政府が落下地点にこだわる訳は何か。EEZ内なら日本の権益が侵されたと受け止め、被害者意識を駆り立てる効果を計算しているからではないか。 久々にJアラートを体験し、「メディア・ジャック」できる「権力の強さ」を改めて感じた。うまく利用すれば、TVなどメディアを通じ、世論操作も不可能ではない。国葬に加え、旧統一教会と自民党の癒着問題で支持率下落が止まらない岸田政権にとって、Jアラートは国民の関心を、国外の「敵」に向ける絶好のチャンスと映ったのではないか。(了) <アーカイブへ>「一時間で戻るからここで待ってて」― 支局車の運転手トーリャにそう告げてから、かれこれ5時間は経っていた。インタビューに興が乗り、昼食までごちそうになって戻る予定が大幅に遅れたのだ。携帯電話がまだ普及していないソ連崩壊直後のモスクワでの話。
「もういないだろう」と思いながら、駐車場に目をやるとトーリャは、同じ場所で待っていてくれた。彼に詫びると、不愉快そうなそぶりは全くみせず「ニチェボー、ニチェボー」(大丈夫、大丈夫)と答えながら、エンジンを勢いよくかけた。 これとは対照的な出来事を中国で経験した。1989年6月4日の「天安門事件」の翌朝。北京支局には2人の中国人運転手がいたが、中国人助手を含め誰一人出勤する人はいなかった。北京の社会活動が全面ストップしたからやむを得ないとはいえ、「無断欠勤」は数日間に及んだと記憶する。 二つのエピソードは「平和な日常」と「非常事態」という状況の違いがある。とはいえ、同じ社会主義体制を経験した両国の人々の行動の違いは、何に起因するのだろう。人の意識は統治システムに強い影響を受ける。同時に、伝統的な思考様式や方法が、統治の在り方を規定する部分がある。 ロシア人運転手の行動は、ロシアの伝統的な共同体概念「サボールノスチ」から説明できないか。これは「個人が集団に融合することで社会が調和する」(池田嘉郎・東大準教授)のを意味する、ロシア正教的概念。「人権尊重や私有財産の不可侵を基礎にする西欧的理念とは別の位相にある」と池田はみる。 一方の中国は、革命と戦乱の歴史が繰り返された多民族国家。近代革命の父、孫文は中国人を「握ろうとすると指の間からこぼれ落ちる砂」に例えた。国家や政治より家族・地域共同体を重視する思考・行動パターンが根強い。中国人雇員は出勤すれば「日本企業に忠誠を誓った」と、批判される恐れもあったかもしれない。 ロシアのウクライナ侵攻以来、欧米や日本では中国とロシアが接近し、両国が「同盟化」したと見る論評すら現れた。中国が対ロシア制裁に加わらず、ロシア非難も控えているからだが、果たしてそうか。 プーチン政権とも親和性があるドミトリー・トレーニン・カーネギー国際平和財団モスクワ研究所長は、ウクライナ侵攻を「ピョートル大帝が始めた300年以上の『欧州への窓を開く』事業は終わった」とみなす。欧米との「新冷戦」が始まったとみるのだ。 一方、中国については「米国中心の経済システムの中で、さらに高い地位を占めようとしている」と、進む方向が真逆と指摘する。中ロ両国は、これほど民衆意識から国家の進む方向まで異なる。「専制」というくくりで同一視すると見誤る。 <アーカイブへ>「お騒がせ議長」の尻ぬぐいは御免だ
ペロシ米下院議長の台湾訪問(8月2~3日)は、中国政府が反対しただけではない。バイデン政権が訪台中止をペロシ氏に提言し、台湾の蔡英文政権も招待撤回に傾いたのに、自分のレガシー(歴史的評価)を満足させるため断行したのだった。 メディアは「米国は台湾見捨てない」(8月4日付「朝日」)などの見出しで、「中国の恫喝に屈しなかった」議長を好意的に扱う。だが台湾紙「中国時報」(8月2日)が、台湾当局の「公電」を基に報じた内幕を知ると、別の風景が浮かび上がる。 それによると、ホワイトハウス高官は、訪問予定が明らかになった7月18日以降、ペロシ氏に訪台延期を連日のように進言し説得に当たった。バイデン大統領は7月20日、記者団に「米軍は今は(訪台は)良くないと考えている」と強くけん制した。 バイデン発言を聞いたペロシ氏は、台湾の蕭美琴・駐米代表に電話し8月3日訪台の意向を伝えた。この時ペロシ氏は、台湾側も招待撤回に傾いていることを初めて知ったという。一方習氏は7月28日の米中首脳協議で、ペロシ訪台を念頭に「火遊びをすれば身を焼く」と威嚇した。 包囲網を無視してペロシ氏が訪台を強行した理由について「中国時報」は、同氏が82歳と高齢な上、民主党敗北が確実視される11月の中間選挙後に議長退任の可能性が高いため「個人的レガシー(歴史的評価)の追求を堅持した」と書く。 蔡氏はこの間、ペロシ訪台に期待する発言は一切せず「低調」姿勢だった。ペロシとの会見でも、蔡氏は米高官訪台の際に使ってきた「台米関係の突破」という表現は避けた。訪問が「痛しかゆし」だったことが窺える。 中国の軍事威嚇や経済制裁に曝されれば、台湾の安全保障環境は悪化する。台湾民衆は軍事演習中も冷静対応した。だが今後、演習が波状的に常態化すれば、批判の矛先は、米国と共に対中強硬路線を追求してきた蔡政権にも向きかねない。 中国は、抑制してきた対日批判を強める姿勢に転換した。韓国の尹錫悦大統領が、「夏休み」を理由に対面せず、電話協議で済ませたのに対し、岸田文雄首相は朝食会を開き、軍事演習を「国家安全保障と国民の安全を脅かしている」と非難する対照ぶり。 岸田政権は、中国ミサイルの日本EEZ落下を、「台湾有事は日本有事」とする「安倍遺言」にリアリティを持たせる「宣伝戦」を始めた。国民の関心を、安倍国葬や「旧統一教会」問題からそらそうとしているのでは、と勘繰りたくなる。 駐日中国大使は「日本に厳正な立場を求める」声明を発表し、中国紙も日本批判キャンペーンを開始した。個人のエゴに基づいた訪台でもたらされた、東アジア安保や外交危機の「尻ぬぐい」をさせられるのはまっぴら御免だ。(了) <アーカイブへ>安倍晋三元首相が遊説中に銃弾に倒れ死去した。元海上自衛隊員の容疑者(41)は、母親が「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)にはまり、1億円もの寄付をして家庭崩壊を招いたこと、同教会と近い関係にあった安倍への私怨が動機と、述べているという。
安倍の政治信条への恨みを否定していることから、「政治テロ」というより、私怨を晴らすための殺人事件とみるべきだろう。発生が参院選挙の投開票(7月10日)の2日前で、演説中の凶行だったこともあって、日本だけでなく世界中に衝撃が広がった。 衆人環視の下での卑劣な凶行への非難は当然だ。しかし犯行動機から考えても、事件によって「民主主義が危機に」とみなすのは、本筋を外れた「的ハズレ報道」だと思う。 朝日新聞は9日付け朝刊で「民主主義の破壊許さぬ」と題した社説を発表した。ただいつもの社説欄ではなく、一面左肩の目立つ位置に掲載したことからみて、同社編集幹部がよほど「民主主義の危機」という危機感を募らせたことがうかがえる。 社説は銃撃を「(民主国家の基礎中の基礎である)選挙を暴力で破壊する。自由を封殺する。動機が何であれ、戦後日本の民主政治へのゆがんだ挑戦であり、決して許すことはできない」と、格調高く犯行を指弾する。 そして、米連邦議会への乱入事件を挙げながら、世界各地で「民主主義の失調」が露わになる中で、銃撃事件を「日本が直面する危機」と位置付け、「民主主義を何としても立て直す」と「力む」のである。 民主主義とは何か、その内実が世界中で問われている今、中身のない民主という「トーチ」にすがる「貧困な精神」の表れだと思う。「何としても立て直す」と言ったって、空っぽなイデオロギ―は立て直しようがない。 葬儀の様子をNHKニュースで観ると、霊柩車に向かって「安倍さ~ん」と大声で叫ぶ驚くほど多くの民衆が詰めかけた。まるで人気タレントの最後を見送るような風景が再現されるとは想像もしなかった。当初は「家族葬」と言っていたのに… 「アベノマスク」という幼稚なコロナ対策の失敗で、彼は民意から見放された。「石もて追われる」ように退陣した2年前を振り返れば、自発的に集まっただろう民衆の熱狂ぶりは、なんとも名状し難く腑に落ちないのだ。 葬列をわざわざヘリに乗って観察した朝日記者の「天声人語」(13日)はお笑いだ。国会前から車列が消えたのを見て「一つの時代が終わった」と、嘆息して見せた後、鴨長明の「ゆく河の流れは絶えずして~」を引用しながら「しかも、もとの水にあらず」と結ぶのである。 いくら最長政権といったって「一つの時代の終わり」とはチョー誇張だろう。こんな情緒的表現で、時代を切り取った気になってもらっては困る。いっそ来年の大学入試問題に「終わった『一つの時代』とはどのような時代か、100字以内で説明せよ」と出題しては。天声人語氏も答えられないだろう。(了) <アーカイブへ>「屋外では、周りの人との距離が確保できなくても会話をほとんどしない場合には、(マスク)着用の必要はない」 コロナ対策としてのマスク着用について、政府見解が発表(5月20日)された直後のNHKテレビ・ニュースの内容だ。
コロナ感染を防ぐ上で、マスク着用が効果的なことは誰もが知っている。でも人通りの少ない屋外での着用の是非までお上に判断を仰ぐって、なんやねん! 極端な話、人通りのない砂漠を歩く時、あるいは同乗者のいない車を運転する時でも、政府方針がないとマスクは外せないというのだろうか。 これ、自分の判断で決める問題じゃないの? 判断基準は「感染防止」。なのに「空気」を読んで「同調圧力」に従うのが習い性になっている。お上の決定が出るまで、マスクは外せない滑稽な「コンセンサス」に支配される。 個人主義が強い欧米社会からすれば、「これって民主?」という疑問がわくに違いない。コロナの爆発的感染の中でも、マスク着用を拒否する人の割合が約半分を占め、ワクチン接種の強制に反対して、国境の橋をトラックで封鎖する社会からすれば、個人の判断を放棄し、お上に政策決定を委ねるのは「専制」にみえるのではないか。 ことほど左様に「民主主義」の中身は多様で普遍性はない。民主には「法の支配」「複数政党制」「自由と人権」など、制度的要件はあるけれど、運用方法や政策決定のプロセスは千差万別。文化や伝統が、民主の性格と内容を決定するのだ。 5月末、日本を初訪問したバイデン米大統領は、ウクライナ戦争や対中政策で「民主か専制か」の二分法的選択を各国に迫った。これになびくのは、外交・安保政策の決定権をほぼ米国に委ねている日本ぐらいのもの。空疎な「理念」より「実利」から政策決定するアジア諸国の多くはなびかない。 マスク着用に話を戻す。多くのメディアは政府決定を大々的に伝えたが、自己決定権を放棄し判断を政府に委ねるあり方自体を問題視する報道は見なかった。政府に決定権を委ねるのを、メディア自身が当然視していたことが分る。これじゃあ、政治を含め、あらゆる政策決定を政府にからめとられても文句は言えまい。 日本赤軍元幹部の重信房子さんが、20年の刑期を終えて出所した時、「今一番感じていること」を聞かれ、ウクライナのゼレンスキー大統領の国会演説を挙げながら「国民はそうでなくても、政治家が一方向に流れているというのが実感」と答えた。 同感だが、彼女の意見と異なるのは、同じ方向に流れているのは政治家だけではなく、国民もそうなりつつあるという点だ。日本社会は今、政治も世論も一方向へと流れる「翼賛化」が進んでいると思う。メディアが政府と一体化して「世論」作りをしているためである。1930年代の日本のように。 (共同通信客員論説委員) <アーカイブへ> ~「996」で働き過ぎ 髪もだいぶ薄くなった 寝そべりこそ特効薬 出世競争で疲れ果て「社畜」になり果てたオレ 寝そべりこそ王道だ~
中国で昨年、若者の間で大ヒットしたのが、「寝そべりは王道」と題するこの歌。 この30年急成長を続け、日本を抜いて世界第2位の経済大国へと発展した中国。しかしコロナ禍も手伝って高成長に陰りがさし、「踊り場」に差し掛かかる。日本とは比べものにならない競争社会。「家や車は買わず、恋愛・結婚はせず、子供も作らない」ライフスタイルを実行する若者を「寝そべり族」と呼ぶ。 冒頭の「996」とは、「朝9時から夜9時まで週6日間勤務」という意味だ。なんとなく「引きこもり」をイメージしてしまうが、「寝そべり族」は、社会から孤立しているわけではない。「経済的野心を求めず、経済的物質主義より心の健康を優先させる」(Wikipedia) 「最低限の生活を維持することで、資本家の金儲けマシーンとなって資本家に搾取される奴隷になるのを拒否する」(同)と、「抵抗運動」と評する向きもある。1960年代後半、米国をはじめ先進国に登場した、既成の価値観や性規範に反抗するカウンター・カルチャーの「ヒッピー」に近いのではないか。 「今が楽しければ、それでいい。休みになったら家で寝そべるだけ。毎日、スマホやパソコンを見て、ゲームで遊ぶの」 NHKが昨年暮れ放送した番組「中国新世紀」で、中国のある地方の女子大学生が、「寝そべり」ぶりを率直に明かしていたのが印象的だった。 中国の習近平指導部は建国100年にあたる2049年、中国を「世界一流の社会主義強国」に発展させ、「中華民族の偉大な復興」を実現する夢を描く。その夢実現には一定の経済成長を維持して、「日増しに高まる人々の新たな生活の質の改善」という要求に応えねばならない。 急速に進む高学歴化に伴い、中国では4年制大学の新卒者がことし、昨年の2割も増える。一方、上海や北京でのロックダウン(都市封鎖)もあって求人が減り、若年失業率が20%に達するとの試算もある。ことしは中国版「団塊世代」が60歳を迎え、大量退職時代が始まる。 新規求人が増える要因だが、都市化が進んで大学卒業生の多くはホワイトカラーを希望し、工場労働者や店員は不足気味。失業青年の「寝そべり」は、リアリティを増すばかりだ。共産党指導部が思い描く「中華民族の偉大な復興」の夢を阻むのは、反政府デモなどではなく、スマホを片手にした「寝そべり族」の反乱かもしれない。 <アーカイブへ> 「マクドナルド(マック)が全ロシア店を閉鎖」 ロシアのウクライナ侵攻(2月24日)から2週間余りたった3月9日、ロシアで850店舗を経営する米マクドナルド社がロシアからの撤退を発表した。その翌日には日本のファーストリテイリング社(ファストリ)が、ロシアにある「ユニクロ」全50店の営業停止を決めた。
米欧日はウクライナ侵攻以来、ロシアの海外金融資産の凍結をはじめ、石油・天然ガスの禁輸、最恵国待遇の取り消しなど、史上例のない経済制裁を科した。その名目は表向き「ウクライナからの撤退」を迫ることにあるが、直接の効果がないのは誰もが知っている。ロシア経済に打撃を与え、それがロシア民衆のプーチン批判につながりプーチン体制を揺さぶることに主眼がある。 こうした国家の制裁以上にインパクトを持つのが、マックやファストリなど有名企業計470社余りの撤退や縮小。特に食品や飲料は、多くの人の舌に記憶される「身体性」があるから、制裁のイメージが実感を持って掴める。 マックは冷戦終結後の1990年1月、旧ソ連初の1号店をモスクワ中心部にオープンした。ソ連が脱社会主義に移行する象徴的な存在でもあった。ある米ジャーナリストは「マクドナルドがある国同士は戦争しない」という“紛争防止の黄金のM型アーチ理論”を提唱したほど。 だがロシアは、やはりマックのあるウクライナに侵攻し「黄金のM型アーチ理論」は木っ端みじんに砕かれた。マックは撤退理由を「侵略と暴行に対し非難を表明し、平和を祈念する世界の動きに加わる」と「倫理」を強調した。 一方ファストリは「紛争を取り巻く状況の変化や営業を継続する上での様々な困難」と、サプライチェーン(供給網)や輸送網打撃に伴う「実利」上の理由に触れた。両社は侵攻後も営業を継続したが、それに国際的な批判が強まっていたという。 企業イメージやブランドに傷がつき、結果的に事業に悪影響が及ぶという意味では「実利」こそ撤退の理由だ。マックのロシア事業の売り上げは、全体に占める割合が1%台とわずか。脱ロシアは経営にも跳ね返らない。 崩壊したソ連を継承したロシアのエリツィン大統領が、孫の手を引いてマック1号店を訪問したことがある。ビッグマックを一口ほうばった大統領は、歯型のついたバンズを開いて、上からたっぷり食塩を振りかけた。孫に微笑みかけながら今度は満足そうに食べるエリツィン。この様子をモスクワのTVニュースで眺めながら、舌やイデオロギーには普遍性なんてない、とつくづく思った。 |