このたび「岡田充の海峡両岸論」というタイトルのWebsite を開設しました。これまでは矢吹晋・横浜市立大名誉教授がディレクターを務めてきた「21世紀中国総研」に間借りしてきましたが、同総研が2022年末をもって店仕舞いするのに伴い、戸建てに引っ越し独立いたしました。
「書きたいことを字数や形式にとらわれず自由に書きたい」…
これが共同通信社での長い記者生活を終えた時の希望でした。それまでは企業メディアの土俵で、企業に守られながら記事を書いてきたのですが、退職後は自分のメディアを見つけねばならない。
そこで矢吹氏と中村公省・事務局長(旧蒼蒼社社長)と相談して、2009年から「21世紀総研」のWebsite に「海峡両岸論」というコーナーを設けていたき、月に1本のペースで比較的長いコラムを書き続けてきました。
「海峡両岸」とは、政治的には対立しながらも、経済的には共存する中台関係を指す地理的政治用語です。台北特派員を4年近くやり、両岸関係を理解するには大陸と台湾の歴史だけでなく、米中関係をはじめ日中、日台関係などの国際政治・経済、さらに主権や領土・領域など、政治学の基本が必要だと考えていましたから、記事内容に汎用性があるタイトルと考えたのでした。
それから約13年、記事数は145本に上ります。「21世紀中国総研」の店仕舞いに伴って、これらの記事の検索ができなくなるため、今後の記事作成にも支障をきたします。そこでドイツ在住の岡田毅氏の協力を得て、戸建てに引っ越したわけです。
両岸関係は、米中の戦略的対立の中心的争点になっており、その行方は東アジアだけでなく世界の国際関係を左右する最重要要因です。これまで同様、月一本のペースで更新するつもりですので、引き続きご愛読いただければ幸いです。
また2023年7月より、ニュース性のあるテーマを「独断と偏向」で切るコラム「酔生夢死」を掲載しています。「無意味に一生を送ること」を意味するこのタイトルは、神戸で「サツ回り」(警察担当)をしていた駆け出し記者のころ、他社の記者が自分たちの仕事を自虐的に表現していたのがすっかり気に入ってつけました。メールマガジン「オルタ」(現「オルタ広場」)に2014年から連載しています。当時「オルタ」主催者だった故加藤宣幸さんに、このタイトルを提示したところ「これでいいんですか?」と、怪訝な顔が戻ってきたのを思い出しました。併せてお読みください。
「酔生夢死」のジャーナルとアーカイブに付けた写真の説明は次の通りです。
ジャーナル
1930年(昭和5年)第16回帝国議会選挙で衆院議員に初当選、旧議事堂の議員控室で、他の立憲民政党議員とともに記念撮影に収まる筆者の祖父、初代岡田春夫(後列左4)
アーカイブ
北海道美唄市我路町1条に残る筆者の生家。祖父の岡田春夫(初代=1887~1937年)が1913年(大正2年)に建て父親の岡田春夫(1914~1991年)もここで生まれ育った。生家は川の氾濫によって全体の3分の2が流出した。(2021年11月6日撮影)
「書きたいことを字数や形式にとらわれず自由に書きたい」…
これが共同通信社での長い記者生活を終えた時の希望でした。それまでは企業メディアの土俵で、企業に守られながら記事を書いてきたのですが、退職後は自分のメディアを見つけねばならない。
そこで矢吹氏と中村公省・事務局長(旧蒼蒼社社長)と相談して、2009年から「21世紀総研」のWebsite に「海峡両岸論」というコーナーを設けていたき、月に1本のペースで比較的長いコラムを書き続けてきました。
「海峡両岸」とは、政治的には対立しながらも、経済的には共存する中台関係を指す地理的政治用語です。台北特派員を4年近くやり、両岸関係を理解するには大陸と台湾の歴史だけでなく、米中関係をはじめ日中、日台関係などの国際政治・経済、さらに主権や領土・領域など、政治学の基本が必要だと考えていましたから、記事内容に汎用性があるタイトルと考えたのでした。
それから約13年、記事数は145本に上ります。「21世紀中国総研」の店仕舞いに伴って、これらの記事の検索ができなくなるため、今後の記事作成にも支障をきたします。そこでドイツ在住の岡田毅氏の協力を得て、戸建てに引っ越したわけです。
両岸関係は、米中の戦略的対立の中心的争点になっており、その行方は東アジアだけでなく世界の国際関係を左右する最重要要因です。これまで同様、月一本のペースで更新するつもりですので、引き続きご愛読いただければ幸いです。
また2023年7月より、ニュース性のあるテーマを「独断と偏向」で切るコラム「酔生夢死」を掲載しています。「無意味に一生を送ること」を意味するこのタイトルは、神戸で「サツ回り」(警察担当)をしていた駆け出し記者のころ、他社の記者が自分たちの仕事を自虐的に表現していたのがすっかり気に入ってつけました。メールマガジン「オルタ」(現「オルタ広場」)に2014年から連載しています。当時「オルタ」主催者だった故加藤宣幸さんに、このタイトルを提示したところ「これでいいんですか?」と、怪訝な顔が戻ってきたのを思い出しました。併せてお読みください。
「酔生夢死」のジャーナルとアーカイブに付けた写真の説明は次の通りです。
ジャーナル
1930年(昭和5年)第16回帝国議会選挙で衆院議員に初当選、旧議事堂の議員控室で、他の立憲民政党議員とともに記念撮影に収まる筆者の祖父、初代岡田春夫(後列左4)
アーカイブ
北海道美唄市我路町1条に残る筆者の生家。祖父の岡田春夫(初代=1887~1937年)が1913年(大正2年)に建て父親の岡田春夫(1914~1991年)もここで生まれ育った。生家は川の氾濫によって全体の3分の2が流出した。(2021年11月6日撮影)
2023年10月1日 岡田充