<アーカイブへ>ゆっくりとした横揺れから始まった。マグニチュード(M)9の巨大地震の時、東京・汐留にある35階建てビルの12階にいた。「震源は遠そうだな」と高をくくっていたら、突然の縦揺れに続いて激しい横揺れ。ビル全体がギシギシと前後左右にしなり、足下が「これでもか、これでもか」とばかりねじれ続く。窓側のデスクにいると、窓ガラスを突き破って外に放り出されそうな妄想も。デスクの端を両手で掴みながら、ビルがポッキリ折れやしないかという恐怖感が何度か頭をよぎった。
「巨大ナマズ」の恐怖にかられたのはこれが初めてではない。台湾中部で12年前の9月に起きた大地震の時は、台北の自宅にいた。寝入りばなを襲われ、ベッドから飛び起きた。停電で部屋は真っ暗だったが、落下物はない。懐中電灯を照らしてまず向かったのはキッチン。9月の台北はかなり暑い。停電が続けば、冷蔵庫のビールがどんな状態になるか分かるよね。勢いよくプルトップを開け、冷えた液体を一気にノドに流し込んだ。胃壁からアルコールが血液に染み渡り、かじかんだ心臓と頭をほぐしてくれる。東京本社に地震の一報を送ったのはそれからだった。 話は汐留に戻る。その後も余震のたびに身構え、ぎしぎしと音を立ててしなるビルの中で、船酔いに近い感じが続いた。「ゆりかもめ」の軌道を、電車から降りた乗客が歩いているのが見える。新幹線は停まったまま。地震の大きさと交通機関の運行状況からみて「帰宅は困難」と見切りをつけ、緊張をほぐす算段をした。こういうときは経験が物を言う。そうだビールだ、ビール!健康診断で一時帰国していた海外支局員らを誘いビル内のレストランで酒盛りを始めた。炊き出し態勢のレストランに食べ物はなく、若手が地下のコンビニまでつまみの買い出し。戻った彼が肩で息をついている。エレベーターが停まったため、13階まで階段を登ってきたという。メタボの奴にはちょうどいい。4時間ほどで焼酎2本が空になった。 翌朝、動き始めた電車とバスを乗り継ぎ、ねずみシティの自宅へ「やっとこさ」たどりついた。オット、見慣れた街の様子がすこし変だぞ。歩道のマンホールがぜんぶ地上に浮き上がっている。50センチも持ち上がって巨大プリン(写真)のように見えるやつもある。東京湾の埋め立て地だから、いたる所で液状化現象が起きたのだ。13階建ての3階にある自宅は無傷だった。上階では冷蔵庫や家具が倒れぐちゃぐちゃになった家もあったというからラッキーというよりない。約2週間、水道が停まりトイレも風呂も使えなかった。超巨大地震だけに余震は頻繁にある。寝ているとまるでトーフの上にいるような心地。ほら、また来た。 (了)
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