<アーカイブへ>「ザ・ピーナッツ」と聞いて「ああ、あの双子の歌手ね」とピンとくれば、それはオジ・オバの立派な証明である。この姉妹が映画「モスラ」で、南の島(インドネシア)の節回しで主題歌をうたったころ、双子の不思議にはまったことがあった。そっくりなのは、顔の造りやしぐさだけじゃない。遠く離れていても、もうひとりが「何を考えているのか分かる」と聞けば、テレパシーの存在を信じたい気になった。双子なら、学校が嫌なときはもうひとりの自分に行かせて、試験も成績のいいほうに受けさせりゃ楽勝だ、なんてマンガのような空想も楽しんだ。双子を「分身」と勘違いしただけのことだが…
双子は生身の人間だけではない。双子だったのに仲違いし争いを続けた政党がある。中国共産党と台湾の国民党だ。お互い「何を考えているか分かる」から、近親憎悪に近いものがある。ことしは清朝が倒れた「辛亥革命」(1911年10月10日)から百年。革命の主役は有名な孫文と彼が率いた国民党だった。「革命」といえば天地一変のイメージを抱くかもしれないがそうではない。清朝は倒れたが、中華民国の実権は軍閥が握る。そこで孫文は弟分の共産党と協力して軍閥を倒す国共合作(1923―27年)を開始した。これを取り仕切ったのがソ連共産党である。双子の党の父親は、レーニンだったのである。 双子だから二つの政党は驚くほどよく似ている。党規約をはじめ、中央集権的な組織、党が軍を指導する関係までソ連から派遣されたロシア人顧問が作り上げたからである。協力関係は、蒋介石が国民党のリーダーになりいったん終わったあと、日本の中国侵略で復活するが、戦後は台湾海峡を挟んで双子が「骨肉の争い」を演じたのはご承知の通りだ ソ連時代、小雪が散り始めたころモスクワ中心部にある「中央革命博物館」(現在・現代史博物館)を訪れ、オットットしたことがある。博物館は文字通りロシア革命の成果を誇る展示館。だが「アジア」の展示コーナーに足を踏み入れのけぞった。まず正面に明治天皇の有名な肖像画。その下にあるのは日露戦争で負傷したロシアの将軍を見舞う乃木希典将軍の古い写真じゃないか。日本は帝政ロシアを破りロシア革命成功に「貢献」したという評価がにじんでいる。イデオロギーからしか国際関係を見ようとしない自分の固い頭にとって、目からウロコだった。 もう一つは中国革命のコーナー。孫文とロシア人が丸テーブルをはさみ談笑する小さな塑像があったが、毛沢東の写真などどこにもない。ソ連が国民党と共産党という「双子」のうち、「正妻」である孫文の国民党を嫡子とみなしていたのは明らかだった。人気のない薄暗い博物館を進むと、各国のリーダーから贈られたプレゼントが展示されている。そこだけがカラフルなガラスケースが目に入った。あでやかな着物姿の日本人形。「土井たか子寄贈」と書かれていた。(了)
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