<アーカイブへ> すもうが好きだ。「中学時代は相撲部だった」と言うと、「またまた冗談を」という顔をされることが多いが本当だ。好きになったのは小学3年のころ、商店街の「こども相撲大会」で優勝してからである。背の高い年長の子を大技で投げ飛ばすと、近所のおじさんやおばさんからヤンヤの大歓声が上がり、晴れがましい思いで勝ち名乗りを聞いた。賞品はノートに鉛筆などの文房具。家に持って帰るといつもは厳しい母親がめずらしくほめてくれた。
強くなったのは3歳年長の兄と暇さえあればすもうをとったからだろう。勉強はかなわなかったが、すもうでは勝てるようになりささやかな優越感に浸った。「好きこそ物の上手なれ」である。靖国神社近くの中学校には、屋根付きで、盛り土した本格的土俵があった。元関脇の北の洋の「武隈親方」が、ときどき胸を貸してくれた。中学一年生が全身の力でぶちかましても全く動じず、太鼓腹が妙に硬かった。「北の洋」で分からないそこの人! 緒方昇の本名でNHKの相撲解説をしていた人といったら分かるかな? その大相撲は数年前、八百長疑惑に揺れた。八百長をうかがわせるメールの記録が携帯に残っていたことから「足がついた」。「立ち合いは強く当たって流れでお願いします」というメールに「了解致しました!では流れで少しは踏ん張るよ」の返信。やりとり通りの結果になった取り組みの写真が大きく報じられ、改革、改革と大騒ぎだ。なんでそんなに騒ぐの?そもそも興業でしょ。神事にからめ「国技」にされたのは、国家神道下の明治になってから。発祥の地はモンゴルだから、白鵬や日馬富士が横綱張って当然なのだ。 運動部記者から、ある取り組みについて「正真正銘のガチンコ相撲だね」と聞かされたことがある。裏返せばガチンコじゃない相撲が日常化していたということだ。史上初の兄弟による優勝決定戦となった若貴対決。圧倒的に強かったはずの貴乃花が、自分から崩れるように下手投げで破れたのを見て、首を傾げたファンは多かったろう。若乃花はもちろん父親の親方も「ごっつあんッス」に違いない。兄弟横綱の誕生で二子山部屋も相撲協会も潤い、相撲ファンも増えたからである。 話は相撲部に戻る。顧問の武隈親方が弟子入りしたばかりの中学OBの序の口と「ガチンコせい」という。体格はそれほどでもない。「勝てば俺もプロになれるかも」などと、スケベ心を抱いて土俵に上がった。見合って立ち上がるとテキは頭から「ガチンコ」してきた。思わずのけぞり体が上がったところをそのまま寄り切られた。それから間もなく相撲部をやめた。序の口に負けてプライドに傷が付いたからではない。片思いの同級生にまわし姿を見られるのが恥ずかしくなってきたからである。(了)
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