<アーカイブへ>「うちの女房が最近、朝出かけて夜遅くまで戻らないことがあるんだよね」。大学の昼休み、60歳代後半の古参教員が、こんな身の上話を始めた。昼飯のどんぶりをかき込みながらの話、切迫感はない。「まさか、オトコ?」と冗談かますと「セミナーに行っていたと答えるんだ」。
セミナーか、じゃあ新興宗教ですか? 「はっきりとは言わないのだが」と前置きしながら「あいつはねえ、夫婦はそれぞれ別の人格で、別の世界観をもって然るべきと言い始めた」。ひたすら夫の為に尽くすことを「美徳」としてきたこれまでの生き方を変えたい。夫に先立たれれば、そんな美徳など何の役にも立たないというわけだ。 夫人は至極当たり前のことを言っているに過ぎない。彼は現役時代、日本を代表する新聞社のスポーツ関係の部長を勤めあげ、定年退職後は大学教員に。酒は人並み以上に飲み、趣味といえばヨットにバイクのツーリング、囲碁、俳句、絵画デッサンと、悠々自適の生活。しかし言葉の端はしに「なに不自由なく、食わせてやっているのに…」という本音がちらほら。一家を構えたらオトコは企業戦士、オンナは専業主婦として「家を守る」が当たり前という固定観念の持ち主。かく言う「オットット」もその一人だ。 だが世の中は広い。30年来のある友人は料理、洗濯、掃除と家事全般をほぼひとりでこなす「家事夫」である。いわゆる「髪結いの亭主」じゃないよ。現役時代はアフリカ、欧州、アジアの三カ所で特派員を務めたことがある新聞記者だった。多忙な海外時代はともかく、東京では朝と夜は、彼が台所に立ち続けた。朝食は焼き魚にみそ汁。晩は、仕事帰りにスーパーに寄って買い物をして戻る。 息子一家が遊びに来る週末や休日には、ハンバーグにチーズ・ベーコン入りオムレツを作る。「こんなにおいしいオムレツ食べたことない」。小学一年になった孫が、覚えたてのお世辞で応える。料理は「自分で作るほうがうまい。妻もおいしいと言って食べてくれる」。掃除と洗濯も「別に苦にならないし、手際は彼女よりずっといい」と自讃する。財布は自分で全て管理し、夫人には必要に応じて「小遣い」を渡すという。 彼が家事をこなしている間、夫人はソファでテレビを見て待つ。まるで、休日に寝ころんでテレビを見ている企業戦士の姿とだぶって見える。この夫婦、実は30年前、任地のアフリカで離婚した。当時小学一年生だった一人息子は彼が引き取り、ベビーシッターを雇って仕事を続けた。離婚して日本に帰国した妻は一年後に戻り、元のさやに。離婚の訳は明らかにしない彼だが、復縁の理由は「かすがい」(子ども)だったという。ちなみに彼の父親も、自分で料理を作った。一方、元新聞社部長の父親は記者で、家は妻任せだった。やはりオトコは父親の背中をみて育つのだ。(了)
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