<アーカイブへ>心臓カテーテル検査を受けたことがある。ちょうど10年前。まず造影剤が体に注入されると、間もなく脳血管に「温かいもの」が届く。造影剤で頭全体が温まり、やがて上半身から下半身を浸され、ついに足の爪先まで到達した。大動脈から動脈、静脈から毛細血管へと全身を貫くのがはっきり意識できるのである。「あんなに気持ちよい経験は初めて」と主治医に告げると「へぇー、普通は気持ち悪いって言うんですがね」と不思議そうな顔を向けた。ヘンタイ扱いだった。
「温かいもの」が頭に上るのはいいが、「血が頭に上る」とどうなるか― ―その瞬間、血が頭に上って、手足からさっと血の気が引いたのが自分でもよく分かった。血が上るとは、こういうことを言うのか―。秘密漏えい容疑で治安当局に拘束・取り調べを受け、半年ぶりに解放された友人の話である。身に覚えのない容疑をかけられ、ついカッとなった瞬間に起きる体の変化。日本ではない。アジアのある国での話。研究者の彼の生活基盤は日本だ。母国に戻ったところを、突然拘束されたのである。 最初の1週間は、理不尽な質問をされるたびカッとなり、取調官と怒鳴り合いのけんかになった。調べは、治安機関の建物に併設された4階建ての建物の一室。2LDKはあっただろうか。ベッドルームはバス・トイレ付き。食事は三食きちんと提供され、時にはおやつまで出た。拷問はなく、取り調べも丁寧だった。窓のカーテンは閉じられ、外気を吸うことは許されない。調べは1か月ほど続いたが、その後は1週間に一回、2週間に一回と間が空き、調べの内容も形式的なものになった。 容疑が固められなかったからだろう。最初に取り調べに当たった捜査責任者はぱたっと姿を見せなくなった。「住環境」は悪くはない。だが携帯、パソコンは取り上げられ、ネットで、外の世界を知ることはできない。そんな拘禁状態に置かれた時、人はどうするだろうか。テレビは?1カ月後からニュース以外はOKになり、普段ならまず見ないドラマや映画を観た。本の差し入れも認められるようになり、実家に頼んで何冊か差し入れてもらった。 外に出て運動はできない、クマのように室内をうろうろと歩き回るのが日課。2013年のダイアリー(B5版)にかなり余白があったので、もったいないから好きな研究テーマで文章を書き始めた。解放された時には余白は全くなくなっていた。ダイアリーの附録にあった世界地図の国名も全て覚えてしまった。なぜ拘束されたかは今でも分からない。治安機関はどの国でも独自の論理で動いている。ちょうど政権交代した後だったから、「点数稼ぎ」が目的だったのではないかと彼は推測する。感情の変化はカオにでる。でも頭に血が上って、血管が切れなくてよかった。(了).
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