<アーカイブへ> 水道の蛇口をひねる。歯にしみるほど冷たい水を両手ですくい、ごくごくとのどを鳴らした。かすかに 鉄分の匂いがする。故郷の記憶と開か れてまず思いだすのが、この冷たい水 である。北海道内陸にある産炭地で生まれ、3歳までこの水で育った。水道水といったって上水道じゃないよ。川 を挟んだ向かいの山の滝水を、つり橋伝いにパイプで引いた「天然水」だ。
札幌に出張しホテルの部屋で蛇口をひねったら冷たい水が勢いよくほとばしり、すぐに故郷を思いだした。札幌 から列車で1時間の故郷に足をのばすことにした。曾祖父(写真)は、北海 道開拓のため姫路から移住した屯田兵 だった。 屯田兵とは、明治維新で困窮した旧士族を、開墾と北方警備に当たらせるためにつくった兵制である。 曾祖父が入植したのは明治33年 (1890年)、ちょうど明治憲法が施行された年だった。彼は農場経営に当たる一方、長女を同じ姫路出身の若者に嫁がせる。これが祖父母である。祖父は、山間部に入り木材を切り出して木材業を開始。大正4年(1915年) には、その山で炭坑が開鉱する。「富国 強兵、殖産興業」の掛け声の下で、一 族はこの地で農業と林業、鉱業の利権 を握ったことになる。その後、材木と石炭の集積地になったここに生家となる家を建てた。 市街地からタクシーで20分。生家の周辺は朽ち果てた廃屋ばかりだ。かつて「黒いダイヤ」といわれ、高度 成長期のエネルギー産業の主役だった石炭はやがて、石油にその地位を奪われ、1970年代初めに炭坑は相次いで閉山した。炭鉱労働者を中心に一時は9万人以上だった人口も、いまや 2万6000人。生家のある山間部には、お年寄りを中心に20数名が住むだけとなった。鉄道はもちろんバスも走らない。乗り合いタクシーで市街地まで買い物や病院に行くという。冬は2 メートルを越える積雪の豪雪地帯だから、陸の孤島になることも。 先住民のアイヌを追い払い、山のヒグマと格闘しながら、未開の大地を開拓したのは120年前。近代国家建設の礎を築いたこの地も、その役割を終えてひっそり静まり返り、聞こえるのはカラスの鳴き声ばかり。裏山に連なる夕張も同じ運命をたどり自治体財政 は完全に破綻した。温暖な姫路から寒冷地に移住した曽祖父も、自ら開拓したこの地が120年後にこれほどさび れようとは想像もしなかっただろう。 でも心配には及ばないぞ、曾じいさん。あなたの小鼻と鼻の穴の大きさは、見たこともないひ孫の鼻にそのまま受け継がれている。 (了)
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