<アーカイブへ>「関西弁」は嫌いだった。社会人になり初任地は神戸と告げられ、まず頭に浮かんだのが「関西弁」だ。「このどアホ、どたまかち割って脳みそチューチュー吸ったろか!」。東京で育った身からすると、感情丸出しで赤裸々な表現は、吉本興業や上方漫才の“芸人言葉”の世界だった。これから毎日このしゃべくりを聞かされ、自分でも使うのかと思うだけで気が重くなった。
だが実際に赴任すると、電車や店などで使われているのはイントネーションも単語も「共通語」に近く、とりあえずはホットした。ところが隣の大阪に行けば、役所だって「関西弁」が支配している。神戸には結局7年もいたが、「買えへん」という言葉の意味が、大阪と京都では違うことを最近まで知らなかった。「彦根ことばとその周辺」(サンライズ出版 2011年12月)の著者、安井二美子氏によると、大阪では「買わない」の意味で使われるのに対し、京都では「買えない」という意味だそうだ。彦根に生まれ育ち「いまだに東京語が自分の言葉にならない」という著者は、方言から共通語への置き換えは必ずしも「1対1」ではないとし、「彦根ことば」と「関西弁」や「共通語」の違いの背景にある歴史と文化に着目する。 とりあえずホットした神戸だが、すぐ戸惑うことになる。そのひとつは「じぶん」。安井氏は「じぶんもいくんか?」の例を挙げながら、「じぶん」とは「私」ではなく対話相手を指すと書く。そう、「じぶんは?」と問われ、すぐ相手の一人称に置き換えて理解したら、全く意味が通らず焦った。ほかにもある。警察官の家に「夜回り」をかけると、うるさそうな顔つきでテキが言う。「はよ、いね」。はぁ?イミわかんな~い!と首を傾げると、一緒にいた記者仲間が袖を引っ張りながら「帰れっちゅう意味や」と耳打ちしてくれた。本には「彦根ことば」のミニ辞典が付き、「イヌ」の項には「帰る」とあった。あの時味わった屈辱感が蘇った。 著者は都内の大学で中国語を教える傍ら、日中辞典など編集にも携わる。中国語といっても、北京官話中心の「共通語」から上海、広東、福建など数多くの地方語がある。著者が書くように「言葉は感情や考えの表出手段」だから、地方語を使わなければうまく感情表現できないことは多い。台湾の総統に再選された馬英九(写真)は、支持を広げるため台湾人の多くが日常使う閩南語(福建南部の言葉)の家庭教師について学んだ。 ただ野党側は「馬英九の台湾語を聞くと鳥肌が立つ」と酷評する。「坊主憎けりゃ…」の類いなのか、それともいくら言葉だけをマネしても「台湾人の感情」の表出にはならないからか。神戸に一年もいると、「関西弁」らしいイントネーションが身に付いて、自分でもすっかり地元に溶け込んだ気になった。ただ周りがどう思ったかは分からない。ほぼ使わなくなった関西弁は、酒が入らないともう出ない。(了)
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