<アーカイブへ お盆を過ぎれば、長かった夏休みも終わる。残るのは手を付けていない宿題の山。縁側に座ってスイカを食べながら、種をプッと地面に飛ばす。「来年のいまごろ、この種からでっかいスイカがなるといいなあ」。他愛もないことを考えているうちにいつの間にかウトウト。目を覚ませば辺りは夕闇に包まれ、「カナカナ」とヒグラシが鳴く。顔に虫の気配。指先で払うと蟻が落ちた。スイカの甘さに引き寄せられたのだろう。
東京・中野の小学3年生頃の記憶だ。当時の宿題と言えば、国語、算数のドリルに絵日記、昆虫採集と工作と相場が決まっていた。復習中心のドリルは割合簡単だったから、夏休みに入るとすぐに取りかかった。7月中には終わっていたと思う。それが終われば「遊ぶぞ」とばかり、毎日近くの子供と真っ黒になるまで外で遊んだ。最後に残る宿題は、絵日記と工作。 そんな夏休みの初めに祖母が死んだ。東京での葬儀を終え、一家揃って北海道の実家に戻った。菩提寺で「本葬」をするためだ。東京の家は6畳、4畳半、8畳と3間だけの狭い借家だった。一方、生家の実家は大きい。3歳までここで育ったのだが、本玄関、中玄関に通用玄関まで玄関だけで3か所もあった。 問題は10畳の奥座敷の隣にある4畳半の仏間だ。大きな仏壇の上には戦前死んだ祖父の位牌と写真。その横に逝ったばかりの祖母の真新しい位牌と写真が置かれ、ろうそくの灯明の中で揺れている。真夜中でも灯明の薄明かりが消えないのがかえって不気味さを増した。線香の匂いとともに、その部屋には祖父母の霊気が感じられるようで、一人で足を踏み入れるのは恐ろしかった。 一人では行けない場所がもうひとつあった。それは奥座敷をはさみ、仏間とは反対側に位置する便所である。長廊下の突き当たりの引き戸を開けると、すぐ男性用の便器。隣に汲み取り式の便器が黒い口を空けている。この時、実家にどのぐらい滞在したのか記憶はない。ただ夜中、尿意を感じて起きてもこの便所は決して使わず、すこし離れた対角線上にある便所を使った。 この実家は今もある。台風ですぐ横の川が氾濫して建物の3分の2が流されたが、本玄関部と仏間、それに足を踏み入れなかった便所も残っている。祖母の葬儀を終え東京に戻り、残った宿題の絵日記に取り掛かった。何を書いたかは覚えていない。東京の家はとても狭く感じたがほっとした。あの仏間と便所がないからである。 (了)
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