<アーカイブへ>「シナリオはだいたい次のようなものだろう。まず買収に先だち測量を名目に念願の上陸を果たす。中国と台湾の領土ナショナリズムを刺激し、北京などで抗議デモが始まる。中国や台湾、香港の民族派が尖閣に向けて抗議船を出し、海上保安庁の巡視船とにらみ合いが繰り返される」。
春爛漫の頃、「サクラのように散りたいか」(本誌6月号)にこう書いた。主語は、尖閣諸島(中国名 釣魚島)を「都が買う」とぶち挙げた石原慎太郎都知事のことである。事態はほぼこの通りに推移した。魚釣島など3島「国有化」(9月11日)を機に中国ではデモが暴徒化し、日中関係は国交回復後40年間で最悪の関係に陥った。 日本から届く新聞や雑誌を目にすれば、中国が今にも島を奪おうとし、軍事衝突が起きかねない切迫感を抱く読者もいるだろう。東京でもそうだ。テレビでは評論家と称する人たちが、中国の強硬姿勢の背景として貧富の格差や共産党独裁の危機を挙げ「内部矛盾の外部転嫁だ」と、したり顔で話す。 「全くのハズレ」とは言わないが、彼らは自分の足元の事情には無関心を装う。日本を代表する「週刊B」(10月4日号)は「中国をやっつけろ!」という巻頭特集を組んだ。中国の「経済制裁」に対し「やれるものならやってみろ」と書き、「在日不良中国人を追放せよ」と排外主義を煽り、最後に「防衛力を強化せよ」で締めくくる。まるで1937年の日中戦争前夜を思わせる。 ここまで好戦的な見出しや記事を書き、編集者や記者は自分の中に潜む排外意識や領土ナショナリズムに気付かないのだろうか。領土という国家が絶対に譲れないテーマでは、勇ましい議論が必ず勢いを持つ。「領土を盗られてもいいのか」という幼稚な問いに答えるのは簡単ではない。論理というより情緒だからだ。これこそが領土ナショナリズムのやっかいなところである。 国境を越えるグローバル経済は、主権国家と政府の力を否応なく減衰させる。成長を左右する為替相場や金融政策は、一国政府が自由に決定することはできない。それだけではない。ひとびとの自由な移動と文化の交流が進み、市民の意識はとっくに国境を越えてしまった。韓国はもちろん中国もそうだ。日本では行き詰まった政党政治と間接民主主義への失望は、政治離れを拡大再生産している。 暑かった8月、香港と日本の民族派活動家が魚釣島への上陸・旗揚げ合戦を演じた。普段はみえない「国家」が、このときばかりは旗に凝縮される。空洞化する国家の「可視化」こそ、尖閣を含む領土問題の本質である。あの知事ら国家主義者の狙いもここにある。(了)
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