台湾覆う中国大陸の影 日台関係にパラダイムシフト 台北市北部のオフィス街のビルに「中国国際航空」「澳門航空」と書かれた大きな看板が目に入った。中国とマカオを代表するフラッグ・キャリアの台北事務所。一つビルを隔てると、中国との準公的な交渉窓口「海峡交流基金会」(江丙坤会長)の本部が入ったオフィスビルがある。 はす向かいの五つ星ホテルに入った。ロビーは中国からの観光客であふれている。大声で談笑しながら、先を争ってエレベーターに乗り込む風景は中国大陸ではよく見かけるが、台湾ではめずらしい。フロントの外貨交換ボードには、米ドル、円、ユーロと並んで「人民幣」の表記があった。毛沢東の肖像が描かれた人民元は、昨年6月から2万元を上限に自由に交換できるようになった。ドアボーイに聞くと、かつては欧米客でにぎわったホテルの客は、今年に入ってから半分が中国大陸からの観光客で占められるようになった。 台北観光の定番、故宮博物院も大型観光バスで乗り付けた中国観光客でひしめいている。上海語、広東語に四川なまり…。中国大陸各地の言葉が行き交う。客は上海や広州など大都会ではなく、小都市の年配旅行者が中心。みなイヤホーンをつけて展示品を駆け足で眺めた後、博物館の敷地内にある有名ホテル直営のレストランで昼食。25歳のウェートレスは「ここ二、三カ月、中国からの団体客が急に増えました。態度?まあまあですね…」。大陸からの客はもう上得意なのだ。おなかがふくれると、中華民国の旗がはためく正面の楼をバックに記念撮影(写真参照)。この旗がなければ、台北の風景は中国の都市と大差はない。ここでは「海峡両岸論」第2号「経済協定に浮揚かける馬英九政権」ⅰを踏まえて、馬政権の対中政策に対する世論の反応を紹介しながら、日台関係に表れつつある「パラダイムシフト」について論じる。 新しい「慣性」が始まる 国民党の馬英九が総統に当選からちょうど一年ぶりに訪れた台北は、急速に進む中国との経済交流を背景に、中国の影が大きくおおっているように見えた。恐らく台北に住んでいれば、こうした変化を敏感に感じとることはできないだろう。「慣性の法則」は、物理だけでなく心理にも作用を及ぼすからだ。ある日、ソ連という国家が消滅するような急激な変化は激しい反応を引き起こす。しかし毎日少しずつ表れる変化は慣性を生む。慣性ができると、小さな変化の蓄積が、一年後に風景を大変化させても気付かないことすらある。 8年に及ぶ陳水扁政権は、台湾人意識、本土化、非外来政権など、さまざまなスローガンの下で、台湾の「非中国化」を推進してきた。台北国際空港や公園の名称から、蔣介石の名前である「中正」を外し、「中華郵政」を「台湾郵政」へと替える「正名運動」は、「非中国化」が見える変化であった。文化大革命で、紅衛兵が道路の名前を替えたのをほうふつとさせる。馬政権は、公園に「中正」の名を戻し、中国との交流拡大によってまずは「非中国化」という慣性にストップをかけた。 こうした動きを「中台接近」「統一への一里塚」ととらえるか、それとも中国抜きには成立しない世界経済システムに、台湾が参入した当然の帰結と見るかは、立場によって異なる。陳政権の中枢にいた旧知の友人は「たいした変化じゃあない。中国との対話と三通を拒否してきたのは中国だ」と冷静だった。一年ぶりの台北の変化に驚く筆者と、定住・定点観測者である彼の「慣性」が相違の原因かもしれない。 戦後最悪のマイナス成長 台湾経済は、金融危機直後の08年10-12月に、実質GDP成長率が前年比マイナス8・4%と戦後最悪を記録した。東アジア諸国の中でも最悪の景気後退の中にある。馬は選挙中から、中国との緊張緩和と交流拡大を経済浮揚と連動させる政策をとってきたが、一向に景気は浮揚せず、人気は低迷している。(表1参照)。台北の日台関係筋は「不満が満足を上回っているものの、「信任」は「不信任」を引き離している。経済不振が続くが、世界的な不況もあり情状酌量の余地ありといったところだ。今後は、内需拡大が重要。政府が配布した消費券(3600元)は、それなりの経済効果を挙げた」と比較的同情的である。 いったい中国との経済交流からどの程度の景気浮揚が望めるのだろうか。台湾経済に詳しいみずほ総合研究所の伊藤信吾・上席主任研究員のリポート「急激かつ大幅な景気の冷え込みに直面する台湾」ⅱは、この点を詳しく分析している。それによれば、観光客受け入れ拡大や直行の拡充などの経済交流によって、「09年の実質GDP成長率を+2・8PT引き上げることを狙っている」と論じる。輸出主導の台湾経済が受注の急落を背景に、戦後最悪のマイナス成長に陥っているだけに、小さいとは言えない数字だ。 問題は対中経済政策の推進が、中国との「統一」を警戒する「半分の世論」からの反発を受け、政治・社会の不安定化を招く恐れがある点であろう。有力誌「遠見雑誌」が、馬政権支持率と並んで実施した対中政策に関する調査結果を見てほしい(表2)。馬支持が低迷しているのに比べると、中国との経済協力協定締結については、賛成が過半数を超える。前述の日台関係筋は、12年に及ぶ李登輝政権、8年の陳水扁時代を振り返り「両岸の交渉はストップしたのに、経済交流だけは前進した。対中黒字が600-700億ドルと対日赤字分を帳消しにしている。人の往来も双方で500万人に上った」と、台湾経済へのプラス効果が、支持につながったとみる。 では対中経済緊密化に反対する民進党など野党勢力の動向は、社会・政治不安につながるのだろうか。昨秋、台湾を初訪問し江丙坤との第2回トップ会談に臨んだ陳雲林・海峡両岸関係協会会長は、台北のホテルに押しかけた野党側のデモによって「監禁状態」に置かれた。同筋は「民進党は腰が入っている。馬政権誕生1周年直前の5月17日に大デモを計画し、中国との経済協力枠組み協定(ECFA)を、台湾の主権を売り渡すものと抗議し盛り上がりを狙う」と見る。与野党の確執が火を吹くかどうかのカギは、今後の景気動向である。 もう一つは、選挙惨敗と前総統逮捕という打撃を受けた野党側の主体的な力量である。前政権中枢にいた友人は、民進党内は敗北主義に覆われていると指摘「党内派閥の足の引っ張り合いが激しい。利己主義だ。立法院で多数をとる努力をしないで、総統ポストさえとればよいという考えが強い。今のままなら7年後はもちろん、20年たっても(政権復帰は)望めない」と悲観的な見方をしていた。彼は5月の馬就任1周年に対するデモの盛り上がりに対しても懐疑的。「致命傷」から立ち上がる契機をつかめない野党側の動きについては、稿を改めたい。 軸足見失う日本の保守派
対中政策と並び、馬政権が重視するのが対日関係である。駐日大使に当たる台北駐日経済文化代表処の馮寄台代表は、2月17日付「朝日」朝刊「私の視点」欄に「馬英九総統 台湾・日本の協力促進を目指す」と題する文章を寄せた。同紙に寄稿すること自体が異例だが、代表は寄稿の中で、馬政権の誕生以来、馬は親中国で反日という誤解を解くことにあると説明している。馬英九は3月8日、台北市内の映画館で、アカデミー賞受賞映画「おくりびと」を、日本の大使に相当する齋藤正樹・交流協会台北事務所長と一緒に鑑賞した。馬英九は「心温まる感動的作品」と感想を述べた。この鑑賞も馮代表自ら企画し、直パイプで馬を引っ張り出したという。 涙ぐましい努力だが、その背景には馬政権誕生に伴い日台関係に生じた「パラダイムシフト」を挙げる必要がある。日本事情に詳しいある旧知の台湾人は、それを次のように説明する。「馬政権が誕生してから、日本の保守派は台湾を捨て両国関係は漂流し始めた。日台関係の軸足が揺らいでいるのだ。民進党は無条件で『日本好き』と観られていたが、政権交代で(日本側は)右往左往している」。「台湾を捨てた」とは、公然と馬英九批判をすることを意味する。 「右往左往」は台湾側も同様だと思うが、この発言には少し解説が必要であろう。李登輝時代から陳水扁時代に至るポスト冷戦期、日台関係は「反中国」という明瞭な基軸で動いてきた。日中関係に多くの摩擦が生じ、日本の保守勢力は日台関係を日中関係と同格の「主要変数」と位置付けてきた。国民党独裁時代の「反共」台湾は、李登輝時代になると「親日」台湾に変化する。世論にも中国への反発感情が根強く、雑誌メディアが描く「親日の台湾」、「反日の中国」という二元論の図式はすんなりと「腑に落ち」ていった。しかし日台関係を「主要変数」とするのは、情緒的には理解できても現実の国際政治では通用しない幻想というものであろう。日本の経済と政治にとって、相互依存を深める中国を敵に回すことは自殺行為に等しいからである。 モメンタム失った「反中」 しかし陳政権時代の8年、両岸をめぐる政治環境は、冷静な思考と判断を停止させるに十分な展開を遂げる。2005年3月、中国は反国家分裂法を成立させた。台湾に対し非平和的手段(武力行使)を法的に容認する内容だけに、強い反発が国際的な同情を集めた。ちょうど北京、上海など中国各地で「反日デモ」が燃え盛り、日本では「反中感情」が高まっていた時期でもある。 国民党の連戦主席が中国を訪問し胡錦濤との間で、台独反対を目的にした「第3次国共合作」が始動するのはこの直後。対中政策をめぐり両極化の度合いを深める台湾政治について、「国民党=親中、民進党=反中」の「新二元論」がメディアで増幅された。陳水扁一家の横領事件が表面化(07年)し、民進党の政権維持の赤信号がともると、民進党と日本の保守勢力は「台湾に親中政権をつくるな」という「反国民党キャンペーン」を開始し、これに一部の大手メディアも同乗する。日本の政治勢力と世論が、公然と台湾の内政に関与することに違和感がない時代になったのである。 前述の台湾人が言う「日本の保守派は台湾を捨て、両国関係は漂流している。日台関係の軸足がだめになっている」とは、馬政権の誕生によって、「反中国」を明瞭な基軸とする従来の「日台関係」が崩れたことを指している。日台関係が東アジアの国際政治の枠組みを決定づける「主要変数」だとする幻想が消失し、両岸、日中、米中、日米という主要変数に対する「副次的な変数」にすぎない現実が姿を表す。米一極支配とドル体制が崩れはじめ、多極化と世界同時不況からの出口を中国に求める期待が高まる中で、「反中」はモメンタムを失っていく。 日台関係を「副次的変数」とみなすことは、両岸関係と東アジアの安保における台湾の地位後退を意味するわけではない。両岸関係の将来が①現状維持を求める米国②統一を終極目標にする中国③「台湾民意」―の3角形によって規定されることに変化はない。過剰な期待と幻想が消えただけのことである。 馬英九時代の対日政策は①馬英九―蘇起(国家安全会議秘書長)―楊永明(同会議諮問委員)の総統府ライン②夏立言・外交次官らの外交部ライン③亜東関係協会の彭栄次会長などの系統で進められる。前述の馮寄台代表は馬と直接パイプがある。彭会長は、李登輝側近として長く対日工作に従事してきただけに、太く深い対日人脈を持つ。このほか蕭万長副総統、江丙坤・両岸基金会会長もそれぞれ対日パイプを持ち、独自の動きをしている。 注 ⅰhttp://www.21ccs.jp/ryougan_okada/ryougan_02.html ⅱhttp://www.mizuho-ri.co.jp/research/economics/pdf/report/report09-0402.pdf (了)
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